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TO HEART SIDE STORY

"The Winner have not been in this World"



Episode 6(FINAL):世に勝者たる者は無し -THE I・NO・CHI -


 漆黒の闇を照らし出さんばかりに、闇夜の篝火は爛々と燃え続けていた。

 そう、それはまさに篝火だった。

 闇夜に焚かれ、燃ゆる赤き光が儀式のように辺りを照らす。

 発せられる炎熱は世界を陽炎のように歪ませ、全てを無意味な炭素の塊へと変えてゆく。

 ”命”を司る者たちが働き続けるバイオテック本社ビルは、今まさに篝火となって燃えさかっていた。

「何だこれは!?」
「知るか!?消防部隊に出動を要請しろ!!」
 足下でK.S.S.や警備員達が状況に戸惑いながらも、必死でこの状況を終息させようと奔走していた。しかし状況は時にほんの僅かな人々の手に委ねられて事態は進行する。今はまさにその時で、そしてその鍵は1人の少女が握っていた。


       *


 轟く爆音が、彼等の床下から伝わってくる。衝撃の度に建物のあちこちが崩れ、気温が徐々に上がっているように感じるのは決して気のせいではなかった。後しばらくもすれば、あちこちから上がった火の手がここまで辿り着くだろう。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 那智はナイフを構え突進する。
「・・・その状態で、私に勝とうというのか」
 ラケシスは悠然と構え、それでも全身から発せられる殺意はとぎれることはない。獲物を見定める肉食獣のような雰囲気が、那智はおろかここにいる人間全員を萎縮させていた。そして那智の一撃を素早くかわし、手刀で那智の腕からナイフをたたき落とす。
「くあっ・・・」
 手刀の勢いは強く、那智の小さな体ごと吹き飛ばした。ボールのように那智の体が跳ね、ごろごろと社長室の床に転がる。
「那智ちゃんっ!!」
 葵が走り込み、勢いを利用してタックルをかけた。
「甘いわ!!」
 しかしラケシスと葵では体格差がありすぎた。葵のタックルを楽に受け止め、そのまま葵の体を抱え上げ、パイルドライバーの要領で地面に叩きつけた。
「くあっ・・・!」
 すんでの所で頭をかばい、何とか頭が地面に直撃するのは避けられた。さもなくばこの一撃でKO確定だっただろう。
「葵ちゃん・・・・・!」
 浩之が立ち上がり加勢しようとするが、さっきのダメージで体が思うように動かない。ラケシスは葵に一瞥し、そのままテーブルへと歩き出す。だがその時、誰もが思いもよらなかった行動に出た人物がいた。

−ズドンッ!−

「がはっ・・・!」
 閃光とともに空間に稲妻が走った。輝く刃とも言える稲妻はラケシスの体を大きく切り裂き、ラケシスが膝をつく。
「・・・・・・それ以上、暴挙は許しません」
 透き通った清流のような声が響く。芹香だった。そして彼女の白磁器のような白い指先からは、輝く不可思議な粒子が漂っていた。
「・・・く、来栖川芹香・・・?」
 ラケシスがしびれる体を無理に立ち上がらせ、必死で今の状況を理解しようと試みる。
「・・・知らなかったようだな、あの人は現代の魔術師なんだよっ!!」
 言うが早いか、浩之が走り込む。
「はっ、はっ!でりゃあ!!」
 そして左手でアッパー気味にラケシスの顎を突き上げ、浮いた体に右の拳で追い打ちをかけ、更に両手を振り下ろす。
「ぐあっ・・・!」
 ラケシスの体が吹き飛び、仰向けに倒れた。それでも致命傷には至らないのかすぐさま立ち上がり、再び構える。
「・・・見くびりすぎていたようだな」
 言うやいなや、再び浩之に向けて突進するラケシス。
「くっ!」
 とっさに両手でブロックするも、浩之の体が大きく押される。
「先輩!!」
 漸く復活した葵が、走り込むと同時に回し蹴りをたたき込む。
「ぐはぁぁぁっ・・・」
 バックステップで間合いを離したラケシスが膝をつく。先程の芹香と浩之の攻撃によるダメージが大きいのか、流石にかつてのタフさは失われつつあるようだった。しかしその瞳からは今だ戦意は衰えず、あくまでも退くつもりは無いという決死の覚悟だった。それは浩之達も同じで構えを崩さずに、ラケシスの隙を見逃すまいと全神経を研ぎ澄ましていた。


       *


 一秒か、一分か、或いはもっと長かったのか・・・?
 膠着状態が続く睨み合いの中で、下から響く爆音とは違う音に芹香は気がついた。
「・・・・・・?」
 魔術の構えを崩さないまま、芹香は音の方向を探る。構えを解くわけにはいかかなった。彼女の使える攻撃系呪術には完成から発動まである程度のタイムラグがある。普通なら大して問題ではないが、目の前にいるあの男は間違いなくその隙に攻撃できる腕を持っていた。

−ばばばばば・・・・・・・−

 音は間違いなくこちらに接近していた。ばばばばばと響く音・・・芹香は聞いたことはあった。これは・・・?
「ヘリコプター!?」
 あかりが素っ頓狂な声をあげる。
「あれは・・・まさか!?」
 窓の外にはには夜間迷彩が施された黒いアパッチがホバリングしていた。黒の巨躯を威風堂々と夜空に浮かべ、その勇姿を晒していた。そしてコクピット下の機銃が彼等のいる部屋へとその砲身をむけた。
「伏せるんだ!!!」
 咄嗟に黒津が叫ぶ。反射的に身をかがめる一同。

−ずどどどどどどどどどど!!−

 鼓膜が破れそうになるほどの爆音。社長室が瞬時に埃と煙に包まれ、辺りは衝撃と銃弾で瓦礫の山と化した。
「くっ・・・なんだ?」
 鼓膜に響く爆音の残滓と強烈な音による三半規管の不備に苛まれながらも、浩之は何とか立ち上がる。爆音は鼓膜を激しく揺らすばかりか、その奥の平衡感覚を司る三半規管まで届いて、立つのもやっとという有様だった。
「せ、先輩」
 隣にへたりこんでいた葵も同じような状態なのだろう、足下が何処かおぼつかない。
「しかし一体誰が・・・?」
 体を起こしながら那智が辺りを見回した。他の面子も同じように辺りをきょろきょろと見回している。とりあえず死者はいないようだった。
「お嬢様!ご無事ですかあぁぁ!!」
 破壊された窓の側から響く男の声。浩之達にはあまりにも聞き慣れた声だった。「・・・あのジジイ、ちったあ穏便に事を運ぶって事を知らないのか・・・」
 浩之の悪態など聞こえていないのか、全身包帯だらけのセバスがアパッチのコクピットから飛び移り、部屋の中に降り立った。
「まあ、助かったんだからいいと思いましょう・・・多分」
 葵が苦笑しながらも立ち上がろうとしたときだった。

−ぴきっ−

「ぴきっ?」
 地面からの異音に葵は気がついた。

−ぴきっ、ぴきっ−

 音は止むことなく、むしろ拡散して響いていくようにすら聞こえた。
「・・・地面が!?」
 浩之が床全体に急激に広がりつつある亀裂に気がつく。
「・・・陥没する!?」
 葵も立ち上がり、逃げようとするが最早遅い。

−ずどどどぉぉぉぉぉぉ!!!−

 轟音とともに床が砕け、浩之と葵は意識を闇の中へと落としていった・・・


       *


 熱い。
 全身を焦がされるような灼熱に浩之は目を覚ました。
「・・・・・・ここは?」
 朦朧とする意識を懸命に覚醒させ、状況を把握しようと辺りを見回した。ここのオフィスなのだろう。幾つもの事務机や書類が散乱しており、発火装置の影響が出ているのか、随所から火の手が上がり始めていた。上を見上げると何層にも渡った大穴が開いており、あそこから落ちてきたのだという事が漠然と理解できた。恐らくセバスの放った銃弾のせいで、ラケシス達が仕掛けた爆弾のどれかが爆発したことが原因だろうが、従業員がいなかったのは幸いといえた。
「う・・・うん?」
 浩之の側で気絶していた葵が目を覚ます。
「葵ちゃん、大丈夫か?」
 浩之が葵を抱き起こす。
「は、はい・・・なんとか」
 浩之に支えられ立ち上がる葵。
「落っこちてきたみたいですね・・・」
 自分たちが落とされた大穴を見上げながら葵が呆然と呟く。
「とりあえず上に上がろう。ラケシスの話が本当なら下は火の手が回ってるはずだ。あのジジイに頼むのは癪だが、ヘリで回収してもらおう」
「そうですね」
 そして歩きだそうとした時、目の前に現れた人影に気がついた。否、正確には倒れている。
「那智ちゃん!?」
 那智だった。彼女も一緒に落ちてきたのか、崩れた壁の上に体を横たえていた。駆け寄る浩之と葵。
「おい、しっかりしろ、おい!!」
 浩之が那智の体を揺すり、意識を戻そうと懸命になる。
「う・・・がっ・・・がはぁぁっ!!」
 むせ返る那智。こふこふと荒い呼吸を繰り返し、素人目にもただならぬ状態に彼女があることが理解できた。咳を繰り返し、そして・・・
「血だと!?」
「そんな・・・!」
 幾度めかの咳の後、那智の口から赤い物が溢れ出した。訳が解らなくなる浩之だったが、とりあえず呼吸を楽にさせることができるように体を起こし、血を吐き出しやすいように背中をさすった。
「はあ・・・はあ・・・」
 漸く吐血がおさまり、茫漠としていた那智の瞳に光が甦ってくる。
「おい、大丈夫か!俺が解るか!?」
「お前は・・・浩之」
 顔を上げ、絞り出すように那智が言った。



「・・・どういうことなんだ?」
 那智の状態が安定した事を確認すると、浩之が切り出した。
「何が?」
 那智の態度は素っ気ない。だが浩之は更に問うた。
「お前の体だ。落ちてきたときの怪我が原因ってわけじゃないだろう!?」
「・・・・・・・」
 那智は黙して答えない。そんな彼女の前に葵は立った。
「・・・・・・もう、隠せないよ」
 小さく、囁くように葵は言う。
「葵ちゃん・・・・知っていたのか!?」
 浩之が驚きに満ちた視線で葵を見る。
「私も今朝知ったんです・・・・・今朝起きたら、布団が真っ赤で・・・でも、この事は誰にも言うなって・・・決着がつくまで」
「誰にも言うなって・・・そんなこと言っていられるレベルじゃないだろう!?」
 叫ぶ浩之。那智の吐き出した血は彼女の足下に小さな赤い水たまりを作っていた。何処から出血しているのか解らないが、まともな状態ではない。
「・・・・・・癌」
 消え入るような声で那智は言った。
「癌・・・どういうこと?」
 葵が問い返す。
「あかりって人が言っていたでしょう?C.D.N.A.の欠陥を。毒の正体はそれよ・・・あれには強い発癌性があるのよ」
「なんだって!ってことはおまえまさか!?」
「そう・・・C.D.N.A.を食べていたのよ」


       *


「どうして・・・どうしてそんなことを!?」
 葵が那智の両肩を掴みながら叫ぶ。
「私も最初からああいう欠陥があるとは知らなかったわ・・・ただ、あれを絶えさせてはいけない・・・そう思った・・・だから」
「栽培したってのか・・・あれを」
 浩之の言葉に那智は頷いた。
「師匠の隠れ家にかくまわれていたんだけど、そこには畑もあったから・・・そして、好奇心に駆られてあれを食べてしまった」
「そんな・・・それじゃあ師匠も?」
 葵が叫ぶ。だとしたら危険は彼女だけの問題ではなくなる。
「その心配はいらないわ。食べたのは私だけ」
 否定の意を示す那智。燃えさかる炎が那智の顔を明々と照らし出す。改めてこの那智という少女を見つめる浩之。世界を拒絶するような排他的な態度に隠れて見えなかった彼女の人としての弱い部分が浮き彫りになって見えた。生気が抜けたように白い肌、袖からのぞく細い腕、それでも意志だけは消えない瞳。
「師匠もリハビリにいいからって、私がそれを育てることには何も言わなかった。ただ、食べない方がいいとは言ってはいたけど・・・年上の忠告は聞くものね」
「そんな・・・・・・どうして」
 葵は半ば呆然と那智を見つめていた。ゆらゆらと揺らめく陽炎が、なお那智の姿を儚げに見せていた。この少女はもう命が少ない。その否定しようもない現実が葵の心に重くのしかかり、葵から言葉を奪わせていた。
「どうして・・・ですって」
 研ぎ澄まされた刃のように鋭い視線を葵に向ける那智。その瞳には憎悪と憤怒と嫉妬が宿り、辺りで燃えさかる炎の猛々しさと相まって、那智の姿をより恐ろしく見せていた。葵がたじろぐ。
「葵に何が解るの!?格闘家として順調に進んで!自分の側にいてくれる人がいて!困ったときに助けてくれる仲間がいて!!」
 吐き捨てるかのように那智は続ける。
「親を殺されて!外の世界に生きられなくなって・・・信じていた人に裏切られて・・・最後の希望だったC.D.N.A.も使えなくて・・・何が解るっていうのよ・・・」
 那智は俯いて拳を握る。彼女は泣いていた、全てに絶望し、全てを憎み。
「裏切られた・・・ラケシスはまさか」
「そういう事よ、藤田浩之。私は子供だった・・・けど、好きだった」


「ある程度は知っていた・・・あの男が祖国を救うためにC.D.N.A.の研究をしていたことも、私も行ったことがあるから」
 懐から取り出されたラケシスと那智の写真。今はもう失われた、幸福に満ちあふれた微笑みの2人がいた。その後ろに広がる荒野、2人で例の場所に行ったときのものなのだろう。
「何もかもが上手く行かなかった・・・・・・私には何も残っていない」
 膝を落とし、那智が項垂れる。
「逃げるなら早い方がいいわよ。もうここもそう長くは保たないだろうから」
 自嘲の笑いを浮かべ、那智は言い捨てる。
「そんな、那智ちゃ・・・先輩?」
 那智に近寄ろうとする葵を制す浩之。浩之が那智の前に立った。浩之はかがみ込み、那智と視線を合わせる。
「・・・・・・何のつもり?」
「さあな、ただひとつ言っておきたいことがある」
 怪訝に問う那智を、浩之は心穏やかに見つめる。
「あんたは葵ちゃんが何の苦労もせず、今の場所にいたような事を言ったな」
「それがどうしたっていうの?」
 瞳を逸らそうとするが、浩之の視線は那智を捕らえて離さない。遠くで炎の燃える音が聞こえる。気温も徐々に上がり始め、3人の額に汗を浮かび上がらせていた。ここもいずれは火の海になるだろう。
「それだけは訂正しろ。確かに今葵ちゃんには俺もいる、綾香もいる、その気になれば坂下もいる。あかりだってそうだろう。だが、そういった仲間を何の苦労もせずに得たと思うのか?」
「・・・・・・・・・」
 那智は答えない。浩之は続ける。
「あの子はたった一人でエクストリームに参戦を決意したんだ。部を作ることから始めて、ろくに設備もない場所で訓練して、何度も倒れそうになりながらここまで辿り着いたんだ」
「・・・・・・・・・」
「それはあんたの親父さんだって同じなんじゃないのか?確かにC.D.N.A.は欠陥品かもしれない。しかしそこまでに辿り着くための苦労は、あんただって見てきたんじゃないか?」
「・・・誰よりも、知っている」
 遠い父の記憶が那智の脳裏を掠めた。幾日も研究室にこもりデータを集めていた姿、実験農園で共に農作業をした姿。
「どんな人間でも、幾度も倒れ、負けている。それこそこの世界に本当の意味での勝者なんかいないのかもしれない。『何もかもが上手く行かない』?そんなことは当たり前だ。誰だってそうだ。勝つことがなくとも、負けることばかりが続こうとも、そうやって苦しみながら進むんだ」
 それはさながら、悩み苦しむ妹に兄が「どうしたんだい?だが大丈夫さ」と諭し、元気づけるような言い回しだった。言葉を終え、浩之が立ち上がる。
「・・・・・・師匠が言った言葉、覚えてる?」
 浩之の横にしゃがみ、葵は訊ねた。
「「『いかに敗北を続けようと、勝てることが無くとも、進むことだけは止めるな。歩いた軌跡は、必ずや糧になる』」」
 葵と那智、2人の声が重なる。
「今ここで那智、あんたが死んだら必死にC.D.N.A.を作ってきたあんたの親父さんはどうなるんだ?それこそ本当の敗北なんじゃないのか?」
「・・・敗北」
 自問するように那智は呟く。
「そうだよ。私には難しいことは解らないけど、先輩から昨日教えてもらった・・・誰もが夢を抱いて、みんなそれぞれ失敗している。でも、それは決して無駄なんかじゃない。そうやって頑張ったことが自分に、誰かに受け継がれていく」「受け継がれる?」
「そうだよ。もしここで倒れたら、死んでいった研究所の人達や、那智ちゃんのお父さんのやったことは、全部無駄になるんだよ」
 そこまで言って葵は笑う。屈託の無い、心の底からの微笑み。那智が顔をあげる。
「・・・言うようになったわね、その人の影響?」
 那智も微かな笑みを浮かべ、葵に答える。
「そうかも、何処か師匠に似てるところがあるから。ね、先輩」
「別にそこまでジジイになったつもりはないんだけどな・・・」
 苦笑する浩之。
「でもまあ、言いたいことは解ったわ」
 腰に着いた埃を落としながら、那智が立ち上がった。3人は向かい合い、そして頷きあい、微笑み合う。
 誰からともなく走り出す葵、浩之、那智。

 そして、彼等の最後の決戦が始まることとなる・・・・・・


       *



 どぉぉぉぉぉん。

 遠くで、或いは近くで爆音が響き、そのつど新しい火の手が上がる。
 彼等がいるフロアでも至る所から炎が噴出し、天井を舐め、壁を埋め、地面を覆ってゆく。彼等の足下からも焦げ臭い匂いが漂い始めていた。もうここもそう長くは保たないだろう。急がねばならない、そう感じた三人が進みを早めようとしたときだった。
「・・・あれはっ!」
 崩れかけた上へと向かう階段の側に人影を見つけた浩之が叫んだ。
「ラケシス!」
 葵が叫ぶ。ラケシスは余程落ちたところが悪かったのか、全身擦り傷だらけで自らが流した血に汚れ、片手にC.D.N.A.を携えながら、やっとの思いで歩いているという有様だった。
「・・・貴様ら」
 ラケシスも駆け寄る3人に気がつき、それでもファイティングポーズをとった。だがそのときだった。
「結局、あなたも勝者にはなれなかったわね」
 那智が構える葵と浩之を制して一歩前に歩み出た。
「何だと?」
 ラケシスが片眉を上げる。
「私を騙して、父さんを騙して、バイオテックを騙して、あなたは勝とうとした、救おうとした・・・でも、その結果がこれなのね」
 那智は笑っていた。それはラケシスに対してか、或いは同じくぼろぼろの自分に対してなのか。
「何が言いたい!!」
 語気を荒げて再び問うラケシス。
「昔話よ」
 燃えさかる天井を見上げ、那智は言った。
「昔話・・・?」
 葵が怪訝な表情を浮かべる。
「そう・・・『炎』の昔話。ずいぶん昔に読んだ、ね。プロメテウスって知っている?ラケシス?」
 ラケシスが困惑の表情を浮かべる。那智のその表情は遠い昔、自分を慕っていた少女の表情そのものだった。
「神が地上を作り出し、その地に住まう生物達を作り出した。そして生物達に力を授ける役割をプロメテウスは神々の王から授かった・・・解るでしょう?」
 ギリシャ神話の故事だった。困惑する浩之達をよそに、那智は更に続けた。
「そして、プロメテウスは生物達を一同に集め、生きるための力を授けた。鳥に翼を、獣に爪を、魚に鱗を・・・・・・でも、そこにたどり着けなかった哀れな生物がいた」
 那智はラケシスに視線を合わせる。強く視線はラケシスを捕らえて離さない。
「それこそがヒト、何も与えられなかった哀れな存在。だけどプロメテウスは一計を案じた。それが『炎』・・・プロメテウスは天の炎を持ち出し、ヒトに与えた。
 しかしそれは最大の禁忌でもあった。プロメテウスのこの行為は主神ゼウスの逆鱗に触れ、オリンポスの山の中で永劫禿鷹に臓腑を喰われ続ける罰をうけたという・・・昔話よ」
 哀れむような視線を向けながらそう言って、那智が構えた。皮肉な昔話の語り部に相応しい、哀れみと悲しみを内包した表情で。
「成る程・・・因果応報ってのはまさにこの事かもしれないな。なあ、ラケシスさんよ」
 浩之も構え、那智の横に立った。
「・・・・・・貴様らに何が解るという?」
 ラケシスがすり足で少しずつ移動を始める。浩之達もそれに気がつき、那智を中心としてその左右に浩之と葵が散開するように構えた。
「じゃああなたは、その手にかけてきた罪のない人達の何が解るんですか?」
 葵の凛とした声が、炎上する部屋の中に響く。がらり、と音をたてて梁の一つが崩れ落ちる音が聞こえた。
「罪のない・・・はっ、貴様らに解るというのか?全てに満たされ、生きるという行為を当然に思いながら生きている貴様らに?」
 3人を侮蔑するようにラケシスが吐き捨てた。
「じゃあ聞くが、お前には命を奪う権利があるのか?お前に命令したのが誰かは知らないが、そいつにもそういう権利はあるのか?」
 浩之がすり足で移動しながら訊ねた。
「詭弁だな・・・」
 再びラケシスが言葉を紡ぐ。今度は淡々と、無感情に。
「詭弁?」
 葵が問う。
「お前達は如何様に考える?生きるということを?
 生きるという行為は、全てを奪い合うことだ。勝利を奪い合い、命を奪い合い、血を浴び、肉を喰らって生き残る・・・。己の未来は、他者の未来を潰すことで成り立ち、己の幸福は、他者の幸福を奪い合って得られる物・・・それが解らぬ貴様らに・・・何一つ言われる筋合いは無い!!」
 叫ぶと同時に、素早く葵へと飛び込むラケシス。ガードをとった葵の体が大きく揺らぐ。
「葵!!」
 那智が駆け寄り、ラケシスの側頭部めがけた旋風脚が放たれる。辛うじてガードするラケシス。
「奪い合う、上等だ!!だったら今度は俺がお前から全てを奪ってやるぜ!!」
 更に浩之が走り込み、そのままスライディングの要領でラケシスの足下を蹴り飛ばす。素早くかわそうとラケシスが動く。
「ぬぐぉっ・・・!」
 直撃こそ免れたが、落下の衝撃で痛めた足に激痛が走る。その隙を狙って繰り出される葵の肘打ち。
「ていやぁっっっっ!!」
 ラケシスの胸に葵の肘が命中し、胸を押さえてラケシスが下がった。今の一撃で肋骨にヒビでも入ったことは間違いないようだった。
「終わりにするぜっ!!」
 とどめを刺そうと浩之が走り込む。勢いに任せた浩之の渾身のラリアットが放たれようとした刹那・・・
「あまいわっ!!」
 身をかがめるラケシス。視界から攻撃対象が消えたことに浩之が戸惑い、そして次の瞬間には吹き飛ばされていた。
「な・・・先輩!!」
 サマーソルトキックと呼ばれる回転蹴りだった。身をかがめた状態からバク転の要領で蹴りを繰り出すという荒技である。吹き飛んだ浩之の体が地面に転がった。
「くっ・・・!」
 那智が再び走り込む。しかしその動きは完全に見切られていた。那智が攻撃動作に移るよりも早く、ラケシスの拳が那智を捕らえた。
「馬鹿めが!!」
 ラケシスの鉄球のようなボディーブローを喰らい、那智の小さな体が宙に浮くラケシスは更に回し蹴りを繰り出し、那智の体を吹き飛ばした。
「うっ・・・」
 苦悶の声をあげ、那智が倒れ伏す。


「先輩・・・那智ちゃん!」
 浩之と那智が瞬殺された驚愕から瞬時に立ち直り、葵がラケシスと対峙する。下手に突っかかっていけば2人の二の舞を踏む。すぐさまそのことに気がついた葵は逸る心を抑え、努めて冷静にラケシスの動きを伺った。
「・・・・・・」
 全身から脂汗が吹き出す程の恐るべき緊張感。さながら首筋に無数の刃を突きつけられるような恐怖感。綾香や坂下と戦ったときですらこれほどのプレッシャーは感じなかっただろう。葵は改めてこの男の底知れぬ強さと恐ろしさを感じていた。しかし恐怖は容易に敗北をもたらし、そして相手がこの男ではそれは死と同義であった。そうはさせない。全神経を眼前の敵に集中させ、必死に動きを読もうとする。眼、肩、腕、足、筋肉の動き、それら全てを見逃すまいと眼を凝らす。
「一瞬でも気を抜けば・・・」
 刹那、ラケシスの右の抜き手が飛ぶ。
「くっ!!」
 しかしそれは予想の範疇だった。左腕でその攻撃をパリーする葵。衝撃が葵の頬に一筋の傷を作る。ラケシスは葵の反撃より早く再び間合いを離し、2人が再び向かい合った。
「多少は腕は立つようだな・・・エクストリームとやらのレベルも侮れぬということか?」
 誘いのつもりなのかラケシスが不敵に笑い、そして呟く。
「後悔させてあげます・・・エクストリームを甘く見たことを!!」
 攻めに転じる葵。素早く踏み込み、左のジャブを放つ。ラケシスがスウェー移動でその攻撃をかわし、右の拳が飛んでくる。上体をそらして葵は攻撃をかわす。再び離れる両者。
「(・・・見切れない動きじゃない。ダメージが蓄積しているせいかな?)」
 ラケシスの攻撃は確かに苛烈ではあったが、前に墓場で対峙したときよりも幾分かパワーダウンしているように思えた。動きの切れも鈍っている。恐らく怪我が原因だろう。
「(だとしたら、チャンスは今しかない!)」
 フロントステップで飛び込み、一気に間合いを詰める。右拳を後ろに退き、渾身のストレートの構えに入る。
「見え見えなのだよ!!」
 葵の狙いを読み、先制のパンチを放とうとするラケシス。リーチの差が圧倒的なのだから、葵が拳を撃つ前にこちらの攻撃が命中する。そう考えていた。
「かかりましたねっ!!」
 しかしその動きは完全にフェイントだった。フロントステップの勢いをそのまま利用して、ラケシスの向こう臑に向けて葵のローキックが放たれる。
−がすっ−
「ぐはっ・・・!」
 鈍い衝撃音、苦悶の悲鳴、ラケシスの体勢が大きく崩れた。闘気をたぎらせる葵の瞳。中腰に構え、右手を後ろに引く。

「ていーーーーーやあっ!!!」

 乾坤一擲、葵の崩拳がラケシスの鳩尾に食い込む。
「ぐぼぁぁぁっ!!」
 ラケシスは内蔵をえぐられるような衝撃を感じた。だがそれはほんの一刹那、次の瞬間には血反吐を吐きながら大きく後ろに吹き飛ばされる。放たれた矢の如く慣性力で飛び続けたラケシスの体は崩れ落ちた壁に激突し、漸くその動きを止めた。

 後はただ、炎が燃えさかる音が響くだけだった・・・


       *


 もたれるように壁の上に仰向けに倒れるラケシス。意識があるのかないのか解らないその姿を見下ろし、葵は立っていた。
「・・・終わったのか」
 意識を取り戻した浩之がふらふらとおぼつかない足取りで歩み寄り、葵の側に立つ。
「先輩!」
 喜びと同時に、不安げな表情を浩之に向ける葵。
「大丈夫だ。気にするなって」
 そう言って葵の頭に手を置く。
「結局、あなたに頼っちゃった・・・ね」
 那智が傷む腹を押さえながら、葵の側に立った。
「那智ちゃん!?大丈夫!?」
「私は平気・・・それより」
 瓦礫の上に倒れるラケシスを見下ろす那智。
「ふ・・・」
 その時、微かにラケシスの口元が動いた。驚く浩之と葵に目もくれず、ラケシスは那智を見た。
「我ながら・・・無様なものだな。ハハハハハ・・・」
 自嘲の笑みを浮かべながら、ラケシスは燃えさかる天井を見上げる。
「同情はしないぜ。あんたのやってきたことを考えればな・・・『奪い合う』のが理だといったのはあんただろう?奪うものはいつか奪われる側に回るって事だ」
「言ってくれるな・・・藤田浩之」
 冷たく言い放った浩之に答えるラケシス。
「・・・最後に一つ教えてください」
 そんな浩之の横から、葵が訊ねた。
「何が聞きたい?」
「あなたが・・・そのような道を選んだ理由です」



「理由か・・・・・・お前たちは私の国のことを知っているか?」
 暫しの沈黙の後、ラケシスは答えた。
「はい」
 頷く葵。
「A共和国だったな」
 浩之が言う。
「そうだ・・・私はあの国の幾度目かの・・・数えることが愚かと思えるほどの内戦の中で生を受けた」
 瞳を閉じ、遥かな過去にラケシスは思いを馳せる。
「物心ついたとき、私はただ生きることだけが目的だった。親を殺され、親友を失い、盗み、奪い、泥水をすすり、それでも生き延びることだけが目的だった・・・・・・武術も最初から学んだわけではない。強さがなければあの場で生き抜くことが出来なかったからだ・・・お前達のように、純粋な興味と憧れから学んだ者たちには決して解るまい・・・」
 何処かで壁の崩れる音が聞こえた。炎熱はなおも激しさを増し、語るラケシスの額に幾筋かの汗を浮かばせた。
「・・・・・・」
 沈黙する葵。言葉を忘れた彼女を後目に、ラケシスはなおも続ける。
「そうした中、私はある革命ゲリラに雇われる身となった・・・現在の政府の全身でもあるがな・・・」
「聞いたことがあるな。確か混乱期に幾つもの武装勢力が蜂起して、最後に政権を樹立した組織か」
 浩之は何処かでラケシスの国の話を聞いたことがあった。
「そうだ・・・革命は成功し、問題を残しながらも内戦は終結した・・・だが、永きにわたる内戦で国は疲弊し、国を維持する産業もままならぬという有様だった・・・指導者はその状況を打破するための鍵を求めた・・・」
「そして、C.D.N.A.を見つけた・・・」
 呟く那智。彼女の瞳の奥に宿る悲哀と絶望に気づきはしながらも、ラケシスはそれでも言葉を紡ぐ。
「その通りだ・・・そして私は来栖川に潜入し、C.D.N.A.を手に入れようとしてこの有様・・・ということだ。全く、上手くいかないものだ」
 再び笑うラケシス。
「まさしく世に勝者たるものは無し・・・か」
 那智とラケシスを交互に見ながら、浩之は言った。研究を完成させられずに死を迎えた那智の父親、必死になって手に入れようとしていたものが全く意味のないものだったラケシス。
「・・・研究するつもりはあったのだがな、使えるように」
 ラケシスが惜しげに言う。未完成のものでも持ち帰れば使えるように研究するとでも言われていたのかもしれなかった。
「無駄よ」
 那智が真っ向から否定した。
「あれの開発には巨額の予算が投じられた・・・あそこまでもっていくのに何十億使ったのか想像もつかない・・・あの国で何かすることは無理。それが解らないあなたでもないでしょう・・・?」
 研究には莫大な予算と優秀な人材が不可欠である。そのどちらもラケシスの国は手にはいるはずもなかった。ラケシスの国は完成品を手に入れる以外どのみち道はなかったのだ。
「フッ・・・・・・たしかにな」
 大きく息を吐き、ラケシスは天を見上げる。舐め尽くすように火の手が回り、世界を赤く染めていた。無数に走るヒビが見えた。崩れるのも時間の問題だろう。


「・・・そろそろいくぞ。時間もあまりない」
 周りの様子を見つめ、浩之が言った。
「はい・・・」
 葵が頷く。
「・・・さよなら、ラケシス」
 無言で那智は背を向けた。
「那智・・・」
 那智の背に向け、声をかけるラケシス。
「何?」
 背を向けたまま、那智は答える。
「プロメテウスの続きだ・・・・・『箱』の話を知っているか?」
「『箱』?」
 怪訝な表情で振り向き、葵が問う。
「パンドラ・・・か」
 浩之が呟く。
「パンドラ?」
 意味が分からず、浩之とラケシスを見る葵。
「ゼウスにより罰せられたのはプロメテウスだけではない・・・神はヒトの増長を認めず、あらゆる災厄を封印した『箱』を地上に送り、パンドラという少女に手渡した・・・決して開けてはならぬと言ってな」
 瞳を閉じ、ラケシスは呟く。
「だが、少女は好奇心に駆られて開いてしまった・・・そして世界は絶望にあふれた・・・だが、たった一つだけ封印に成功したものがあった」
 言葉を止めたラケシスに浩之が続く。
「先輩・・・?なんでそんなことを?それに封印って?」
「前に芹香先輩からちょっとな・・・・・・封印に成功したのは『未来』だ」
 浩之がラケシスを見つめる。
「その通りだ・・・もっと正確に言うならラプラス・・・即ち予知や前兆とも言えるだろう。あれは全てが解き放たれたパンドラの箱だ」
「・・・全てが解き放たれた・・・あれによって未来が変わるというの?あり得ないわ。一つのものが全ての趨勢を決するなんて事は!」
 那智が振り向き、決然と言い放つ。確かに彼女の運命はC.D.N.A.との出会いで言いように狂わされてきたのは事実だった。そして彼女はC.D.N.A.のために死を迎えようとしている。
 だが、そんなことは絶対に認めたくはなかった。だから那智は叫んだ。自らの運命を否定するが如く。
「あり得ない!葵は、師匠は・・・浩之は言ったわ!どんなに負けようと、進み続ける事に価値があると!未来もC.D.N.A.も関係ない!!」
 那智とラケシスの視線がぶつかる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 互いに瞳を逸らさず、互いを見続ける。

「・・・私は行くわ。どのくらい保つのかは解らないけど、C.D.N.A.を伝える私の役目は終わっていないから」
 ラケシスに背を向け、那智は言う。
「ヒトはあっさり運命に負けるほど弱くはない・・・そう思います。だから、私は生きてこられたと思います」
 葵が続く。
「勝者なんかいやしないさ。だが、あきらめることが終わりという事もある・・・・あばよ」
 最後に浩之が言い、3人は去っていった。




「フフ・・・・・・」
 去りゆく3人。
 崩れる建物。
 燃えさかる炎。
 破壊と消滅に彩られた光景の中、ラケシスはいつかの少女の姿を思い出していた。



 遠いあの日、那智と共に国を訪れた日の記憶。
−これが・・・ラケシスの国なんだね−
 あの荒野から帰る道すがら、那智はラケシスに言った。
−このためにC.D.N.A.がいるんだね・・・−
 ラケシスは無言で頷く。
−きっと上手くいくよ!父さんだって協力してくれる・・・どんなに失敗が続いたって、求める心があれば、絶対に!−
 そう言って那智は無邪気に笑った。つられて笑ってしまうラケシス。
 
 それは2人の、遠い記憶。



 微かな夢から目覚め、ラケシスは去っていった方角へ目を凝らす。
 彼等の姿は最早見えない。
 動くことは出来た。あえて葵は急所を外して崩拳を撃っていたから。
 それでも彼はあえて瓦礫の上にその身を横たえていた。
 それは那智に対する贖罪の故か。
 殺め続けた者たちへの慚愧故か。
「・・・・・・・・勝者、か」
 呟き、再び瞳を閉じる。

 燃ゆる世界が、彼の躯を滅していった・・・・・・


        *


「・・・くそっ」
 渦巻く煙に、浩之は幾度となく咽せかえった。飛び散る火の粉が体を焦がし、不安定な足場が心に不安を生み出す。上に通じる出口はことごとく炎に包まれ、上からの脱出は事実上不可能になっていた。
「先輩、あれです!!」
 背後から葵の声が響いた。
「シューター・・・成る程ね」
 那智が言う。葵の指さした先には緊急脱出用のシューターが設置されていた。
「地獄で仏、よくやった葵ちゃん!!」
 素早くシューターの側に駆け寄り、袋状のシューターを窓の外へと放り投げる。瞬く間にそれは滑り台状の脱出口と化した。
「早くいくんだ!」
 無事に設置されたことを確認すると、浩之は2人に叫んだ。
「先に行くわね」
 那智がシューターの中に身を入れる。慣性力を押さえるためなのか、スピードは意外に遅く、地上に到達するまでにかなり時間がかかりそうだが、それでもなんとか脱出は出来そうだった。
「ふう・・・やっと一段落か」
 危険を避けるために那智が降りきってから葵を下ろしたほうが良さそうだなと思いながら、シューターの横に腰を下ろした。
「そうですね・・・・・・!?」
 葵も安心したのだろう、浩之の横に腰掛けようとした。だが次の瞬間、葵の顔が硬直する。
「どうした葵ちゃ・・・・・・!?」
 そして浩之は見た。
 ラケシスが仕掛けた爆弾の一つが、シューターのすぐ側に置かれて爆発間際ということに・・・


        *


「くそったれっ!!」
 浩之が爆弾を掴みあげる。
「先輩!?」
「伏せていろ!!」
 叫び、渾身の力で爆弾を蹴り飛ばす。
 1分か、1秒か、或いはもっと短かったのか・・・

−ずどどどぉぉぉぉ!!!−

 光と共に、衝撃波が2人を襲う。
「先輩ぃぃぃぃぃぃ!」
「葵ちゃぁぁぁぁん!」
 もみくちゃになりながら2人は飛ばされ、別の窓に叩きつけられる。衝撃で砕けるガラス。虚空へ踊る2人の体。
「くそっ!!」
 葵の手を掴み、懸命に窓へと手を伸ばす浩之。残り30cm,20cm・・・そしてああなんということか、残り数cmで伸ばした浩之の手が空しく空を掴む。
 ここまでか、2人の顔に絶望が浮かんだ。その刹那・・・・・・
「浩之!!葵!!」
 遠くで聞き覚えのある声が響く、回転するヘリのローター音。綾香だった。コクピットから縄梯子を放り投げ、地獄からの救いの手である蜘蛛の糸の如く2人の眼前に梯子が降り落ちる。
「くっ!」
「先輩っ!」
 これを逃せば次はない!
 その思いが浩之の体を突き動かし、救いの梯子にその手をかけた。慣性力が浩之の右手に大きな負担を強いる。跳ね飛ばされそうになるが、エクストリームで鍛え上げられた強靱な筋肉がそれを防いだ。
「よっしゃ!」
「くうっ!!」
 両足を梯子に引っかけ、体を固定する浩之。葵も何とか梯子を掴む。

 2人を乗せたヘリが闇夜を舞い、ビルから離れてゆく。


 闇夜の大海で燃えさかる漁火のように、バイオテックは燃え続けていた。
 様々な目的、夢、野心と共に。

 こうして、彼等の長い3日間は終わりを告げたのだった・・・・・・


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