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TO HEART SIDE STORY

"The Winner have not been in this World"



Episode 5:成長する翼 -Grow Wings-


・・・・・・2年前のことである。


 その日、那智の父である神代祐二は公園のベンチに腰を落とし、流れる雲をただ見つめ続けていた。
「・・・待たせたな、祐二」
 そんな彼に1人の男が歩み寄ってきた。白髪の混じった髪に、皺が深く刻まれた初老の紳士だった。
「来たか、黒津」
 祐二は気怠げに顔を動かし、黒津と呼ばれた老紳士を見る。研究論文を今朝方までまとめていたので、髪はぼさぼさで無精髭がちらほらと伸びていた。
「ご苦労だったな、例の物が完成したとか聞いたが?」
 老紳士は興味津々といった様子で聞いてくる。当然だった。黒津は祐二の親友であり、彼の所属する来栖川バイオテックの社長でもあったからだ。
「完成・・・ふ、馬鹿な」
 だが祐二はそんな黒津の様子を鼻で笑い、ベンチにもたれかかって再び空へと視線を向ける。
「どういうことだ?結果は出たのだろう?」
「まあな・・・だが”使える”物になるのはまだ先だ」
 大きくため息をつき、祐二は答えた。
「それは一体・・・?」
「ま、詳しくはそれを見てくれ」
 言って祐二は懐から一枚のCD-ROMを取り出し、黒津へと手渡した。
「・・・世の中そうそう上手くはいかないものだ。それを見ればよく解る」
 祐二は立ち上がり、黒津に背を向け歩き出す。
「何処へ行くんだ?」
 黒津は問う。
「やることはこれからもまだまだある・・・それをするために行く」
 手をひらひらと振り、祐二は歩き出した。

 この密会のわずか6時間後、祐二は『事故』で最後を迎えることになる。
 そして彼の遺言とも言うべき1枚のCD-ROMが、2年後に起こる彼の娘と友人達を巻き込んだ大事件に関わることなど、今は誰も気づくはずもなかった。


              2年前のことだった・・・・・・・


       *


「これはまた・・・壮観ですね」
 K.S.S.のバスの中に入った葵が半ば呆然と呟いた。車体の前半分と後ろ半分は強固な壁で仕切られており、彼女たちの前では、恐らくK.S.S.の制服であるカーキ色の階級章やホルスターのついた服を纏い、頭には同じく階級章のついたベレー帽を被った男達が壁一面に取り付けられた通信機器や分析機と思しき機械の前で何かの作業に没頭している。
「まるで警察・・・いや軍隊だな・・・」
 以前社会見学で警視庁の管理センターを見たことがある浩之が感想を述べた。
「K.S.S.の活動範囲は世界規模だからね。それなりの対応ってのもいるのよ」
 綾香の口調は何処か自虐的だった。それも無理からぬ事だった。友人を助けようとしたはよかったが、結果としてどんどん余計な人間を巻き込んでいる。葵と浩之はまだしも、あかりや芹香までも巻き込んでしまったことが彼女の心に酷く痛みを伴う罪悪感を感じさせていた。
「でも、これだけの設備があるなら大丈夫だよ。きっと」
 そんな綾香の気持ちを察したのか、あかりが声をかける。その気遣いがまた痛さを感じさせた。
「・・・・・・」
 不意に芹香が綾香の肩に手を置いた。
「姉さん・・・気にするなって?」
 こくん。
「・・・・・・・・・・・・・」
「困っているなら手を貸すのは当たり前です?・・・ごめん。ありがと」
 そう言った綾香に芹香は満足げに頷き、一同を奥の部屋へと招いた。


       *


「お久しぶりです。みなさん」
 部屋に入った一同を来栖川家のメイドロボット、セリオが出迎えた。奥の部屋は休憩室になっていて、ベッドとソファーが置かれており、ミーティングルームも兼ねているのか大きなプロジェクターが用意されていた。
「セリオ、あんたも来てたんだ」
「はい。みなさんお座りください。これから先の行動予定について説明しますから・・・そして、あなた方を襲った敵の正体も」
 そう言ってセリオがレーザーポインターを取り出し、プロジェクターの前に立った。彼等は手近なソファーに腰掛け、セリオの方を向いた。


「まず、この事件についてまとめてみましょう」
 セリオがプロジェクターのリモコンを操作すると部屋が暗くなり、プロジェクターに何かの建物が映し出された。東西に広く広がる4階建ての建物で、その周囲は畑で囲まれている。
「これは・・・?」
「来栖川バイオテック、メルボルン研究所です」
 葵の問いにセリオが答える。
「ってことは、那智の両親がいた、C.D.N.A.を作った場所か?」
 浩之が身を乗り出す。
「そうです。C.D.N.A.は神代博士ご夫妻の元、大規模栽培の実験をここで行っていました」
 そう言って更に別の画像を映す。
「・・・これは、C.D.N.A.?」
 穀物を実らせるような植物の写真と、トマトに似た実を実らせる植物の写真がプロジェクターに映されていた。那智から見せられたC.D.N.A.を思い出したあかりが訊ねた。
「そうです・・・2年前の爆発事故以来、オリジナル、サンプルともに神代博士らの死とともに、失われたと思われていました」
「だけど、那智が生きていてそれを持っていたのね」
 綾香の言葉にセリオが頷いた。
「はい・・・ですが、生きていた人物がもう一人います」
 セリオが再びスイッチを押す。
 映されたのは人の写真。
「そんな!?」
 浅黒い肌、銀色の髪。その姿に驚愕する葵。
「こいつは・・・ラケシスか!?」
 2メートル近い長身、鍛え上げられた肉体。声をあげる浩之。
「・・・・・・・ラケシス・アンゲロス」
 恐らくこの男を最も知っているであろう那智が呟く。
「ラケシス?」
 事情を知らないあかり、綾香、芹香が首を捻る。
「那智をずっと追っていて、そしてオレ達を襲った奴のリーダーだ」
 浩之が言う。
「ええ・・・ですがそれだけではありません。この男・・・ラケシス・アンゲロスは神代博士の助手であり・・・研究所爆発の真犯人と目されているのです」


       *


「・・・助手・・・ね」
 綾香が最初に言葉を発した。那智から話こそ聞いていたが、こうして改めてその人物の存在がリアリティーをもって綾香の意識に浮かび上がってくる。
「その通りです」
 短く、しかし確実な肯定の意をセリオは示した。
「・・・で、その人の”本来の目的”は何なんです?」
 葵が問う。少なくとも自分の組織を裏切ってまであそこまでの行為に及んだのだ、並大抵の理由ではないはずである。
「これをご覧ください」
 そう言って再びリモコンに触れた。


 次に映された空間は、どこかの村だった。崩れかけた泥の家にぼろ布を纏った黒人らしき人々が幾人も歩いている。彼等の瞳は何処か虚ろで”生きる”という行為にとうに絶望したような・・・そんな悲壮感が漂っていた。
「・・・A共和国ね」
 沈黙を決め込んでいた那智がそこで初めて口を開いた。
「A共和国・・・たしかアフリカの北部に位置する国だよね。前にテレビで見たよ」
 あかりがそれに続いた。その国は近年まで政情不安定が長く続き、内戦や近隣諸国との軋轢等で内情が”がたがた”という有様だった。あかりが以前見た番組も、その国の政情や貧困にあえぐ国民を描いたドキュメンタリーだったのだから。
 他の人間も何らかの形で聞いたことがあるらしく頷いたりしていた。
「みなさん国のことは御存知のようですね。もう一つこの国、いえこの国周辺では近年希にみる大干魃、大熱波が続き、大量に餓死者もでる有様なのです」
 その様子を見ながらセリオが言った。
「ん・・・って待て。ってことはまさか!?」
 貧困国、異常気象、餓死者、万能植物C.D.N.A.といったキーワードが浩之の思考に引っかかる。ならばラケシスの目的、そして正体は・・・?
「C.D.N.A.を手に入れる・・・スパイよ・・・多分ね」
 那智が吐き捨てるように言った。


「・・・じゃあ、研究所の人達を皆殺しにしたのは?」
 あかりがおずおずと口を開く。
「ここからは憶測ですが、恐らくC.D.N.A.を用いることによる経済復興」
「経済復興?」
 首を傾げるあかりを後目に、セリオは続けた。
「C.D.N.A.が乾燥地帯で実らせる穀物は、報告により麦あるいは米の代替物として使用できるとされています。味覚的な調整は必要かもしれませんが、主要作物としての価値があるからです」
「つまり味を調えれば主食として使える・・・と?」
 葵が顔を乗り出す。
「はい。主食として使える以上その消費量は莫大なものとなります。例えば、アフリカのマルカという民族は主食として米を食べます。独占栽培を行えば輸出用産品になります。食糧難を克服し、かつ輸出によりもたらされる利益・・・これが目的と思われます」
 セリオの言葉は、一同に言葉を失わせ、事の重大さを理解させるに十分すぎる重みを持っていた。


「成る程・・・話はだいたい分かった。で、これからどうする?」
 陰鬱な空気の中、浩之は1人立ち上がり訊ねた。
「は、はい・・・これからバイオテック本社へと向かいます」
 急に声をかけられたせいなのか、セリオにしては珍しく歯切れの悪い答えだった。
「那智さんの目的はそれでしょうし、K.S.S.自体もあの事件について調査を行っていましたから・・・」

 全てはそこで決着か、と短く言い、浩之は再び腰を下ろした。

 後は誰も語ることはなく、低いディーゼルエンジンの音が響くのみだった。


       *


 来栖川バイオテック。

 来栖川グループの子会社の一つで、来栖川内部のバイオテクノロジー関係の全てを総括する企業だった。バイオと言っても様々で、今回のような新種植物の開発を行うこともあれば、例えば多くの肉がとれる豚のような高効率の家畜の開発、さらには生体工学(Biomedical Engineering)等で研究される人工臓器、21世紀初頭に論じられた再生医学による体組織の修復技術と、その研究内容と業務内容は非常に多岐に渡る。
 浩之達の住む街から約4時間ほど車で進んだ所に、バイオテック本社と工場はあった。周囲は山と海で囲まれた片田舎で、正直あまり組織の本拠地としては向かないような所に建てられたのには理由があった。一つ目は病院である。研究内容には医学への応用が行われるものがあるので(実を言うと会社としての最も大きな収入源はこれである)大気、土壌汚染の少ない場所に建てたいという経営者側の希望があった。もう一つは敷地である。研究されたものの試作品の開発をより円滑にするために、工場が隣接している必要があった。そのための用地確保というのが理由だった。
 そして最大の理由は機密保持だった。開発された技術の流出を抑えるために、天然の要塞とも言うべきような場所に建てられていた。西側は海、それも断崖絶壁になっており、そちらから近づくのは困難を極める。北側は実験農園が広がり、その先には高さ7メートルはあろうかという巨大なコンクリートの壁が侵入者を阻む。東側は切り立った山であり、こちらからは一応進入出来無くもないが、山自体に様々な防犯設備が施されており、さながらトーチカのような様相を呈していた。
 浩之達を乗せた車が、二つの山に挟まれたように整備された曲がりくねった山道を進んでゆく。この道はバイオテック本社へと続く唯一の道路であった。時々バスや自家用車とすれ違うのは職員や見舞客のためのシャトルバスと関係者の車だとセリオが説明していた。
 やがて巨大な門が見えてきた。その両脇には城塞を思わせる巨大な塀が、その真ん中には鉄の門が招かれざる客を排せんと立ち構えている。
「・・・なが・・・かった」
 那智の小さな嘆息にも似た声が聞こえた。

 様々な思惑を乗せて、バスは敷地内へと入っていった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
 綾香、芹香と警備員らしき男が話していた。やがて用を終えたのか綾香と芹香が戻ってくる。
「どうだった?」
「3時間ほど待つことになりそうね。でも、敷地内の公園で待ってていいそうだから」
 少しは気をぬけるわよ。と浩之の肩を叩き、綾香は一同を促した。


「・・・綺麗ですね」
 バスから降りて、辺りの景色を見回した葵が呟いた。外の物々しい外観とは裏腹に、その雰囲気は穏やかすぎるくらい穏やかだった。目の前には全身をミラーガラスで着飾った10階建てのビルが二件、それぞれ付属病院とオフィスとして使われており、その奥には白く輝くピラミッドのような建造物が見える。恐らくそれが工場兼研究所だろう。病院の前には瀟洒なガーデニングを施された花壇・・・というか公園が広がっており、見る者の気分を和ませる雰囲気があった。入院患者だろうか、看護婦に付き添われて花壇を散歩している者やベンチで談笑する者の姿もちらほらと見えた。
「ああ・・・」
 浩之が答える。午後の空には雲一つない。海からそよぐ潮風が肌を撫で、その冷たさが陽光の暑さを中和してくれる。そして大きく伸びをし視線を元に戻したとき、自分を見つめる存在に気がついた。
「・・・ちょっといい?」
 那智だった。そして目で『ちょっと来て欲しい』と伝えていた。
「ああ・・・」
 浩之は特に断る理由もなかったので、素直についていった。


       *


 2人が辿り着いたのは、公園にいくつかある蔦状の植物を絡ませた屋根のついた所だった。中にはベンチがいくつか置かれている。そんな中に浩之と那智は立っていた。
「葵の相手・・・なんだってね」
 那智が言う。その口調は淡々としており、そこには侮辱も称賛もなにもない。ただ”あるがまま”の現実を語っている・・・そんな様子だった。
「まあ、そういうことかな」
 浩之は那智の態度を気にした様子もなく、表情を変えずに答えた。
「訊きたいことがある」
「何なりと、俺が答えられることならな」
 答える浩之。その様子を見た那智は浩之の視線を見つめ、訊ねた。
「何故葵を選んだの?」
 何の前振りもなく、いきなり直球の質問だった。
「こりゃまた唐突で・・・」
「私も『女の子』だから、興味はあるわ」
 おちゃらける浩之とは対象に、那智の顔は至極真剣だった。質問と表情とのギャップに苦笑しながらも、浩之は答える。
「そいつは失礼・・・理由ねえ」
「何も無いわけじゃあないんでしょう?それに女の子なら誰でもいいって言うのならとっくにあの・・・あかり?だった?あの人と一緒になっているだろうから」
「大した洞察力だな、感心するぜ」
 浩之は心底そう思った。女は男より人を詳しく見るというが、彼女もご多分に漏れずといったところか。
「で、どうなの?」
 那智は射抜くような視線で浩之を見つめ、再び問う。
「・・・そうだな」
 浩之は視線を海に向けた。


 無数の鴎が大きく翼を広げ、蒼天に白のアクセントを与えるように飛んでいた。
 淡い蒼の中を羽ばたく鴎の群。
 否、羽ばたくよりもむしろ舞うように。
「ま、なんて言うか・・・『翼』だな」
「翼?」
 予想しない答えに那智は首を傾げる。
「こんな事を言うとあんたに叱られるかもしれないが、俺は惰性で生きてきたような人間だ」
「・・・・・・」
「別に不満があったとか、そういうわけじゃない。ただなんというか『こうありたい』っていう明確なヴィジョンが俺にはなかった」
 懐かしむように浩之は腕を組み、那智へと視線を戻す。
「生きるって事は、常に刺激が必要なことだと誰かから聞いたことがある。聖書には『人はパンのみにて生きるのに非ず』っていう有名な一説があるが、まあそういうことなんだろう」
「気持ちは解らなくも無いわ・・・確かに、今はこんな逃亡者みたいな生活を続けているから、あなたの言うヴィジョンがあるけど、普通に生きていたらあなたと大差なかったと思うわ」
 浩之の視線を受け止めた上で、那智は言葉を返す。
「葵ちゃんと出会ったのも、そんなときだった。当初はあの子がエクストリーム部を設立しようとしていたんで、頭数をそろえるために手を貸した・・・そんなつもりだった。
 だが、葵ちゃんは俺が思っていたより遥かにすごい子だった」
「・・・・・・」
「たった一人で何もかも始めて、目標を持って飛んでいく翼・・・いや、成長する翼と言ってもいい。昨日より今日は高く羽ばたき、明日はもっと高いところに辿り着く・・・そう、翼だ」
「・・・それは自分に持っていないものを、あの子に求めたということ?自分の心の空白を埋めるために、葵を求めたということ?」
 微かに那智の口調が硬くなる。
「そう受け止めたか?・・・まあ、そういう側面もあるだろうさ。だがそれがなんだっていうんだ?全ての心は何処かが欠けている。だからこそ孤独や憎悪が生まれる。ヒトの心はそういうものを軸にして、全てが繋がっているともいう。
・・・・だからこそ『必要としあう』んだよ」
「・・・・・・必要」
「そうさ。元はどうあれ、俺達はお互いが必要だ。少なくとも俺はそう思っている」
 浩之の言葉に迷いは無い。視線もはっきりと那智を捕らえている。真実を言っているのだ、浩之は。


 不意に誰かの言葉が那智の中で囁かれる・・・

−解るだろう?・・・これが私の見た世界だ−

−私は彼等を助けねばならない・・・−

−君はそれを望む・・・私もそれを望む・・・−

−だから・・・−

−私には、君が必要なのだ・・・那智−

 決して遠くない昔に、彼女に囁かれた言葉が・・・・・・


       *


「先輩、那智ちゃん、ここにいたんですかぁ?」
 黙りこくった那智と浩之の側に葵が駆け寄ってくる。この広い庭を探して駆け回っていたのだろう。やっと見つけた、といいたそうな顔をしている。
「ああ、どうしたんだ葵ちゃん?」
「はい。そろそろ面会時間なので、呼びに来たんです」
 屈託無く笑い、葵が言う。気がつけば日も傾き、空は黄昏時の様相を見せていた。沈みゆく太陽が世界を赤く染め、海は血を流したかのように深紅に染まっていた。
「そう・・・ありがとう」
 那智は葵の側を通り、囁く。
「・・・いい人を見つけたのね」
「・・・・・・?」
 一瞬呆気にとられる葵。それでも微笑み、葵は答える。
「うん。私の大切な人だから」
 その言葉には何の澱みも疑いもない。
「そうね・・・よく解る」
 那智は浩之を見つめる。

−自分には、得られなかったものだ・・・−

 そんな気持ちを抱きながら・・・・・・


       *


 ・・・・・・彼等と時を同じくして、山の中を走る影があった。

 影達は山全体を覆う密林を縄張りとする獣のように疾駆し、仕掛けられた幾重もの罠をもろともせず進んでゆく。

 彼等は展性の強いゴムのような材質でできた黒い帷子(かたびら)のような全身を覆うボディスーツを身につけ、目元を覆うヘルメットを被り、手足には手甲と脚甲を身につけ、さながら古の忍者を想起させる格好だった。
 やがて彼等は切り立った崖の上に立ち、眼下に広がるバイオテックの本社を見下ろす。

「・・・・・・着いたか」
 男の1人がヘルメットを外し、その光景を見つめる。男はラケシスであった。
「本体とのランデブーは?」
「ジャストゼロ時です・・・今から6時間後になります」
 即座にラケシスに従っていた男が答えた。
「時計をセットしろ・・・目標はC.D.N.A.の確保。極力隠密に行動せよ」
「了解!」
 男達が答え、敬礼する。

「・・・・・・・」
 誰かの名を呟き、ラケシスは再びヘルメットを被る。
 今日もまた、落日の光景が広がる。
 そしてそれは、同時に地獄の到来を告げる除幕でもあった・・・


       *


「・・・よくぞ参られました」
 やや白髪混じりの初老の男が、自分の部屋に入ってきた一同に深々と頭を下げた。彼・・・黒津こそがこの組織の総括者であり、彼等の目的の人物でもあった。
「芹香様、綾香様、お待たせして申し訳ありませんでした」
 彼等が通されたのは、オフィスビルの最上階に位置する社長室だった。こんな場所とはいえ、重役達はそれなりに責務に追われていることには変わりはない。それが面会時間を遅らせていた。それでも、会長の娘である芹香と綾香がいるが故に謝罪の意を見せていた。
「・・・・・」
 構いません、とばかりに芹香は首を振る。
「いいですよ。黒津社長だって忙しいでしょうから」
 綾香がそれにつづいた。芹香も綾香もこの社長とは何度か面識があり、会社の関係者の中では比較的親しみやすい方だった。
「先ずはおかけください、皆様も」
 そう言って黒津は社長室の脇のソファーに座るように促した。


       *


 そのころ、オフィスの社員通用口。
「・・・・・・」
 社員もほとんどが帰宅し無人となった入口の側を、懐中電灯片手に警備員が歩いていた。

−かつん−

 不意に聞き慣れない音が彼の後ろで聞こえた。
「?」
 振り返り、音の源と思しき場所に光を当てる。
「・・・・・・」
 そこには何もなく、見慣れた夜の風景だけが続いていた。気のせいか、と思い彼は再び前を向く。そして次の瞬間。
「!」
 口元に押し当てられる屈強な男の手。手を当てた男は、逆の手で鈍く煌めくナイフを握り、警備員の首筋に突き立てる。
「が・・・・・」
 痛みを感じる間もなく警備員は絶命し、リノリウムの床に赤い液体が広がり始めた。

 ナイフを突き立てた男は全身を黒で覆っていた。
 ナイフを握ったその手は赤く染まり、その汚れを拭おうとせずに手を振り、合図を送る。
 すると更にその奥から同じ姿の軍団が姿を現した。

 男達は走る。

 彼等の目的地・・・C.D.N.A.の元へと。


       *


「・・・あるのですね、ここに」
 重々しく黒津は口を開き、那智を見つめた。この男はこれの重要性を十分把握しているのだろう。揺るぎ無い視線を那智に向け、これから見せられるであろう『モノ』へと意識を集中させていた。
「はい」
 那智は後生大事に抱えていたリュックをテーブルの上に置き、中身を一つ一つ取り出してゆく。保存処理を施された種子、果実のサンプル、更には遺伝子情報を記憶したと思しきCD-ROMなどが置かれてゆく。
「・・・これが、そうなのですか・・・」
 那智の手から離れた幾つもの『結果』を見つめ、黒津は深くため息をつく。
 そして深々とソファーに腰掛け、天井を見つめた。
「おい・・・そういう態度はないだろう!?」
 その様子が浩之の癇に触ったのか、浩之が多少声を荒げる。
「先輩!落ち着いて」
「やめなよ、浩之ちゃん」
 葵とあかりが浩之をたしなめる。
「いや・・・失礼。君達も『こんなもの』のためにいらぬ災厄に巻き込まれた人々の1人でしたね」
 そういって初老の黒津は再び嘆息する。まるで『こんなものさえ無ければ・・・』と言わんばかりな態度で。
「おい、それって一体・・・」
 と浩之が問おうとしたときだった。

−ずずん−

 全員が揺れを感じた。
「揺れた・・・?」
 綾香が周りを見回す。地震でもあったのかと思ったが、この揺れ方はむしろ何か大きな衝撃が起きて、その余波が届いたという感じだった。たとえて言うなら何かが爆発したような。

−ばあん!−

 しかし事態は彼等にそのことについて問答する暇を与えなかった。扉を蹴破り、ラケシスと特殊部隊が3人突入してくる。
「ラケシス!?」
「こんなところまで、K.S.S.は何やってんのよ!?」
 那智と綾香が銃を向けている彼等を見ながら叫ぶ。
「K.S.S.にもそろそろばれる頃だ・・・さっきの爆発は下で始まった戦闘の影響だろう」
 銃口は正確に彼等全員に向けられていた。この状況では如何に浩之達が強かろうと勝ち目の無いことは明らかだった。
「・・・追いつめられてるじゃないか?え、ラケシス?」
 それでも怯えるあかりや芹香を心配させまいと、浩之は震える心を抑えながらいつもの調子で話しかける。
「追いつめられたのはお前達だろう?」
「どうかな。あんた達だってK.S.S.がいたことは知っているはずだ。辺鄙なところだがこんな騒ぎになればここの警察も黙っちゃいない。それにも関わらずこんな大がかりな突入作戦を決行したって事は、そっちもなりふり構ってられなくなったんじゃないのか?」
「何を・・・くだらん」
 そうは言っても、浩之の言っていることは事実だった。セバスチャンとの戦いですでに30人近く部下を失っている上に、本隊と合流する時間も迫っている。文字通り『命を賭けて』いるのだ。
「ともあれ、目的は解っているはずだ。とっとと渡してもらおうか?那智、そして社長」
「ラケシス・・・!」
 拳に爪が食い込むほどに拳を握りしめ、那智が憎悪に満ちた視線をラケシスに向ける。ラケシスはそんな那智の様子など意に介した様子もなく、黒津に視線を向けた。
「成る程、君が裏切り者のアンゲロスというわけだね」
 だが、黒津は向けられた銃口にも何ひとつ気にした様子もなく、悠然と構えたまま逆にラケシスを睨み付けていた。
「そして、C.D.N.A.を求めてここまできたというのか・・・フフ・・・」
「?」
 葵が黒津の様子の異変に気づく。社長は笑っていた。こみ上げてくるおかしさを隠そうともせずに笑っていた。
「フフ・・・フフフフフ・・・・・・・ははははははははは!!」
 ついには大きく口を開け、声をあげて笑い出す。それでも視線はラケシスに向けられ、その笑いはまるで引き算がどうしても理解できない子供に『どうしようもねえな、この馬鹿は!』と言い放つような悪意に満ちた笑いだった。
「何が・・・おかしい?」
 ラケシスが問い返す。そこで社長は漸く笑い止め、凍り付いた刃のような視線をラケシスに向けた。
「君は祖国を救う勇者のつもりだったのだろう?そのために恩師を裏切り、自分を慕う少女を裏切り、無関係の者を巻き込んだ。ここにいる彼等もそうだろう」
「少女・・・?」
 の言葉に葵は何か引っかかるものを感じていた。しかし社長はそんな葵の胸中などお構いなしに言葉を続ける。
「至宝ともいうべきC.D.N.A.を手に入れるために・・・だが、君達は致命的な間違いを犯しているのですよ」
「間違いだと?C.D.N.A.は私の国に希望をもたらす至宝だ。手に入れれば莫大な富と幸福をもたらす」
「ほら、すでにそこに間違いがあるのですよ・・・・・希望?はっ、ばからしい。いいや、確かにその可能性はあった。だが君は、それを自らの手で『灰』にしてしまったのですよ」
 さながら罪人に裁定を下す判事のような口調で黒津は言う。
「どういう・・・こと?」
 那智が困惑とともにラケシスと黒津を交互に見つめる。
「ああ、君が知らないのも無理はありません。君の父上と私くらいしか知らないのです。C.D.N.A.は欠陥品であることにね!」
 黒津は決然と言い放った。

 そしてそれは、一同から言葉を全て失わせるに十分すぎるほどの衝撃だった。


       *


「・・・どういうことなんだ、それは?”成長しない”のか?那智の言っていたことは全部嘘なのか?」
 漸く浩之が絞り出すように言う。
「私は嘘は言っていない!」
 那智がややヒステリックに言い返した。
「それはないです。私達は見ています・・・C.D.N.A.が”成長する”姿を」
 葵が那智に続いた。
「欠陥というのはそういう意味ではないのです。確かにどんな場所でも”成長する”植物を作るという目的は達成されました。ですがそれだけです・・・その果実は”食べられない”のですよ」
「食べられない・・・まさか!?」
 あかりが何か思い出したのか驚きの声をあげる。
「何か知っているのか?あかり?」
「うん・・・以前お母さんから聞いたことがある。”ハイブリット米”の話」
「ハイブリット・・・?」
 聞き慣れない言葉に綾香と葵が首を傾げる。
「要するに、悪天候や病害虫に強くて、収穫量の多いお米を作るっていう計画のこと。だけど、実用化されなかったんだって」
「どうしてだ?」
「人工的に操作を加えることによって、色々問題がでてきたんだって・・・つまり」
「・・・毒になる?」
 そうだよ、とあかりは頷いた。



「そのとおりですよ・・・ただ、可能性はあった」
「可能性?」
 黒津の言葉に問い返すラケシス。
「それを潰したのはあなたです!」
 社長の怒声が響いた。彼は怒りを隠そうともせず、更に続ける。
「C.D.N.A.を”完全体”にする塩基配列の方程式を神代博士は握っていた!あなたは自らの手で全てをふいにしたのです!!」


「そんな・・・隊長!?」
「我々の為してきたことは・・・?」
 兵達にも明らかに動揺が走っていた。


       *


「これは・・・チャンス?浩之、葵」
 戦場に於いて動揺は戦局を容易に覆す。動揺する兵達を見回した綾香がそっと浩之と葵に耳打ちした。
「綾香?」
「浩之は左を、葵は右を、私は後ろをやるわ」
 要するにこの隙に乗じて形成逆転を図ろうというのである。綾香の剛胆さに多少の苦笑を禁じ得ながらも、2人は頷いた。


「いくわよっ!」
 凛と響く綾香の号令。刹那の速さで飛び出す浩之と葵。

「どりゃあっ!」
 走り込み、その勢いで兵士の鳩尾に正拳を叩きつける浩之。兵士の体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。

「せいやっ!」
 葵の回し蹴りが別の兵士の頸部に命中する。兵士は衝撃のあまり体を揺らし、葵はその隙を逃さずにボディーブローを入れた。
「ぐふっ・・・!」
 兵士はその一撃で意識を失い、葵の前に倒れ伏した。

「もらったっ!」
 言うが早いか、綾香の拳が最後の1人の兵士の手の骨を砕く。彼の手から銃が離れ、宙に舞った。
「とどめよっ!」
 更に綾香のハイキックが兵士の顎を砕く。右足と左足がほぼ180度開いた、芸術的な蹴りだった。

 浩之、葵、綾香の三人が兵士達から奪った銃をラケシスに向けた。

 戦いは、ほんの数秒で決着がついた。


       *


「とっとと降伏しやがれ、ラケシス!!」
 銃口をラケシスに向けた浩之が叫ぶ。
「降伏・・・何故だ?」
 しかしラケシスは別段驚いた様子もなく言い返す。
「は、強がりか?お前がそれを持ち帰ってももうどうにもならないんだぞ!?」
「だったらどうした?私の命令は”これを持ち帰ること”だ・・・それに」

−だっ!−

 ラケシスが地を蹴る。
「なに!?」
 刹那の時でラケシスは浩之の側に立ち、そのまま発頸を喰らわせ、浩之を吹き飛ばす。
「君達にやられるほど弱くはない」


「浩之!」
 綾香が銃を撃つ。しかしラケシスは綾香が引き金を引くより早くその場から飛び退き、再び地を蹴った。
「むん!」
「くあっ・・・!」
 綾香の体が吹き飛ぶ。

「あ、綾香さん!?」
 浩之を助け起こしながら葵の悲鳴が響く。
「・・・終わりだ」
 そしてラケシスは懐からスイッチを取り出し、押した。

−ズズズン!−

 一際大きい衝撃が、全員を震わせた。
「何をした!?」
 社長が叫ぶ。
「下から応援など呼ばれると厄介なのでな、時限発火装置を強制発動させた」
 つまりラケシスは”壁”を作ったのだ。ここにいる誰一人生きて帰さないよう。下の階ではあちこちが燃え始め、さながら炎熱地獄の様相を呈していることだろう。効率よく破壊を行うことにかけては彼等はプロだからだ。




 ラケシスは浩之と綾香を一瞥し、悠然とC.D.N.A.の元へと歩み寄る。だが・・・・・・
「何のつもりだ?」
 ラケシスの行方を遮るように那智が立っていた。
「・・・・・・」
 那智はラケシスを睨み付けることにより返答する。手には隠し持っていたサバイバルナイフが握られており、刃はラケシスに向いていた。


「ふっ・・・」
 だがラケシスは那智を嘲笑う。
「お前に私を刺せるのか?」
「・・・黙れ」
 那智が首を振る。
「刺せるのか?」
「黙れっ!!」
 再度問うラケシス。首を振る那智。

「お前は私の・・・・・」
「黙れと言っているーーーーーーーーーっ!!!!」


 那智が刃を振り上げ走る。

 獲物を切り裂く猛禽の爪の如き刃が、部屋の中に輝いた・・・




                        TO BE CONTINUED...

   次回予告

 悪意と意志の絡み合った物語は、こうして終息へと向かう。
 宵闇の中、バイオテックは篝火の如く燃えさかる。

 そしてその中で少女達は自らの運命に決着をつけるべく、最後の戦いへと赴く。
 灼熱の劫火が燃えさかる中、少女の想いが燃え尽きるとき、その結果には何が待つというのだろう?


 次回、TO HEART SIDE STORY "The Winner have not been in this world

   Episode 6(FINAL): 世に勝者たる者は無し - THE I・NO・CHI -

よろしくお願いします


                 感想はs7097658@ipc.akita-u.ac.jpまで


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