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TO HEART SIDE STORY

"The Winner have not been in this World"




Episode 2 人と望み−Man and Desire−



 ・・・一夜が開けた。

「・・・浩之ちゃん、大丈夫?」
 浩之と一緒に登校する道すがら、あかりが心配げに浩之に尋ねた。
「ああ・・・大したこと無い。慣れてるからな」
 余計な心配をかけたくないとわざと怠げな声を出し、答える浩之。とはいえ、あの少女の攻撃をガードし続けた両腕はあちこちに痣ができ、今朝も湿布を巻いて包帯で止めたところだった。痛みも今だ残っている。今日練習が無いのは幸いだった。
−とはいえ、あいつ何者だ?−
 歩きながらも、浩之はそのことを何度も考えていた。あかりから聞いた話だと、どうやらあの少女は、自分の持っていた「何か」を奪われると勘違いしてあかりに飛びかかったらしい。それに彼女が持っていた葵達の写真。間違いなく彼女の関係者なのだろう。ならあの少女は一体・・・?
「藤田先輩!神岸先輩、おはようございますっ!」
 と、そこで後ろからかけられた声。自分をこう呼ぶ人間は浩之の知る限り1人しかいなかった。
「ああ・・・おはよう葵ちゃん」
「おはよう、葵ちゃん」
 浩之とあかりがそれぞれ答える。いつもならそのまま歩き出すはずだった。だが・・・
「・・・先輩、何処かお怪我でも?」
 唐突にそんなことを言う。
「あ、それが・・・」
「ああ、ちょっと風呂場でこけてな、ドジふんじまった」
 理由を説明しようとするあかりを制し、浩之がいう。そしてあかりに『悪いがあのことは黙っててくれ』と目で語る。あかりも葵に余計な心配をかけたくないのだろうという浩之の気持ちを察し、『わかったよ』と目で答えた。
「?」
 葵はそんな2人のやりとりを見つめながら、きょとんとした表情で2人と歩くしかなかった。


       *


 その昼のことである。
「・・・・・・・」
 浩之は1人図書室の奥の閑散とした場所で、例の写真を見つめていた。
「・・・何をしている?藤田」
 不意にかけられた声で浩之は我に返った。
「坂下か、どうした?」
 そこには学校の女子空手部主将にして、かつてエクストリームの名誉をかけて葵と死闘を演じた坂下好恵が立っていた。
「どうしたかじゃない。葵がお前を捜していたぞ。今日の約束についてじゃないのか?」
「ああ・・・そうだった。お前も来るのか?」
「当然だ。あと・・・綾香も来るだろうな」
 思い出したように坂下が言う。と、そこで不意に浩之は例の写真に坂下もいたことを思い出す。
「そうだ、ちょっといいか?」
「おい、一体何のつもりだ」
「いいからちょっと」
 言いながら坂下の手を掴み、電動書庫のあるスペースへと引っ張っていく。ここは滅多に人が来ることはなく、内緒話には最適のスペースといえた。
「で、何なんだ。葵に変な誤解されても知らないぞ」
 ため息をつきながら坂下が言う。
「お前にちょっと見て欲しいものがある」
「見て欲しい?」
 ああ、と頷き、浩之が例の写真を取り出し坂下に手渡した。
「写真・・・って、なんだこれは!?」
 写真の内容を見た坂下がまともに表情を変えた。何か『あり得ないもの』でも見たように両目を大きく見開き、浩之に向き直った。
「藤田・・・お前、何処でこれを手に入れた!?」
 浩之の両肩を掴んで壁に押しつけ、坂下が問う。
「って・・・おい、とにかく離せ」
 葵と互角以上の腕力と握力を持つ坂下である。この力で壁に押しつけられたら流石に鍛えた浩之といえど、十分なダメージになった。
「あ、ああすまん。つい力が入った」
 言われてようやく手を離す。
「すまんじゃない・・・ちったあその性格直せ。彼氏できんぞ」
「余計なお世話だ。それより、まさか葵からもらった訳じゃあないだろう?」


 そして浩之は昨日あかりを襲った少女のことと、あかりを助けようとして飛び込み、この写真はその少女が残したものだということを話した。
「・・・・・葵ちゃんと肩を組んでる女の子がいるだろう?多分・・・」
 あかりを襲ったのはその子だ、と続けようとする浩之を制して坂下が言う。
「馬鹿な・・・ありえん」
 拳を握り、写真を浩之に押しつけて目をそらす坂下。
「ありえん?」
 怪訝な視線を坂下に向ける浩之。
「その子は・・・神代 那智(かみしろ なち)は・・・」


「もう・・・この世にいないはずだ」


 爪が食い込むほど拳を握りしめ、坂下は言った。


       *


−チュン、チュン−

 耳をくすぐる雀の声に、少女は目を覚ました。体を包む毛布を横に置き、冷気が満ちる室内を見回した。部屋の中は一面埃で覆われており、天井の電灯には蜘蛛の巣がいくつも朽ちかけていた。彼女が今まで眠っていたベッドも、スプリングが死にかけているのかぎしぎしと不安定な音をたてていた。
「・・・・・・くっ」
 微かに脇腹に走る痛みに表情をしかめる。浩之の蹴りによるダメージは今だ癒えていなかった。何とか気合いで痛みを吹き飛ばし、少女が立ち上がった。
−さあっ!−
 締め切られたカーテンを開くと、鋭い陽光が目に飛び込んでくる。まぶしさに目を細めながら、窓から町並みを見渡す少女。
「・・・懐かしい・・・ん?」
 不意に足下の人影に気がついた。
「・・・・・・葵!?」
 ブルーの髪をショートヘアにした少女。通学途中なのか制服姿で鞄を持っている。半ば反射的にカーテンを閉め、部屋の裏側に彼女は身を翻す。
「・・・・・・・・・」
 埃の積もった天井を見上げ、少女は呟く。

「友達か・・・・・」

 暫し逡巡した後、少女は立ち上がり愛用のジャケットを羽織り、リュックを背負った。その時である。
−ブゥゥゥン−
 懐の携帯電話が震え、メールが来たことを告げる。慣れた手つきで内容を確認する少女。
「・・・・・・これは・・・因果な。まあいいか」
 そう言って少女は素早く家を出た。

 だが少女は気づかない。
 何気ない一つの望みが、往々にして事態を急転させることに。

 斯くて少女の望みは、彼女の数奇な運命に葵と浩之を巻き込むこととなる・・・


       *


 ・・・・・・その日の放課後のことだった。

「先輩、師範の所に行く前に寄りたいところがあるんですけど、よろしいでしょうか?」
 浩之を迎えに来た葵が、唐突にそんなことを言った。
「ああ、構わないけど?何処へ?」
 浩之の問いに微かに逡巡する葵だったが、やがて顔を上げて言った。
「お墓参り・・・です」



 その墓場は、街全体が一望できる小高い丘の上にあった。なだらかな山の斜面に沿って作られた墓地には幾つもの墓石が整然と並び、花や桶を持って歩く人々もちらほらと見えた。そんな人々に挨拶を交わしながら手桶と花を片手に、葵と浩之は歩いていた。2人の歩みはやがて一つの墓石の前で止まった。丘のはずれにそれは位置し、崖とを隔てる鉄製の柵を通して、街からの風を受け止めていた。
「・・・神代家之墓」
 浩之が呟く。墓石に記された名を見て、浩之は微かな驚きと予想の確信を感じた。葵に誘われた時点で何となく予想はついていた。そんな浩之の気持ちを察してか知らずか葵が口を開く。
「同じ道場の出身だったんです・・・でも、師匠が旅立つしばらく前に、ご両親の都合でオーストラリアへ行って・・・そこで、事故に巻き込まれて」
 死んだんです。と葵は言い、空を見上げた。
「・・・そうなのか」
 何と答えればよいか解らない浩之は、その口調も自ずと冷淡なものになってしまう。彼女を傷つける結果になったかなと、横顔で葵を見る浩之。
「・・・・・・ライバルでもあり、友達、ですね。マルチさんやセリオさん・・・とは違いますけど」
 場違いなくらい澄み渡る青空を見つめ、葵は言う。吸い込まれそうな青に、微かに雲が流れていた。
「綾香さん、好恵さん、そして私と彼女。道場の中ではいつも一緒だったんです。でも、今は那智ちゃんはこの下・・・係累がご両親以外いなかったそうで、私くらいですね・・・ここを訪れるのは」
 笑いと悲しみ、それらが同居したような表情。考えるまでもなく悲しみを押し殺していると浩之には良く解った。


       *


「葵ちゃん・・・」
 声をかけよう、肩に手を置こう、そんな考えを浮かべ葵の元に歩み寄ろうとしたとき、浩之は背後から伸びる1人の影に気づく。
「・・・・・・お前!?」
 振り返る浩之は言葉を失う。そこには昨夜の少女が腕を組んで立っていた。
「どうしましたせんぱ・・・!?」
 そして葵は手に持っていた数珠を取り落とした。あり得ない話だった。目の前の墓標の下にいるはずの人間が、いまここにいる。
「・・・自分の墓を見るのは、どうにも好きになれない」
 少女はまるで他人事であるかのように墓を一瞥し、葵と浩之に向き直る。
「・・・嘘」
 取り落とした数珠にも気づかず、葵は呆然となる。
「嘘?葵、あなたは自分の目と他人の話とどっちを信じる?師範も言っていたじゃない?他人の言うことが必ず正しいとは限らないって?」
 まるで現実にもうすでに立ち戻っているかのように少女・・・那智は言う。その言い方はあまりにも自然すぎて、葵には今まで自分は那智がいないという夢でも見ていたのでは、とまで思えてしまう。
「まさか・・・・・・神代・・・那智なのか?」
 どうにか言葉を紡ぎ出す浩之。
「ええ。浩之・・・だった?」
 昨日の一撃はなかなか効いたわ、と付け加える那智。那智は無表情だった。まるで自分が死んだ扱いにされているという事など微塵も感じていないかのように。「え・・・?どういうことです?」
 葵が更に困惑の度合いを深める。2人の会話からすると死んだはずの親友と自分のパートナーが知り合いという訳の解らないことになる。
「・・・昨日あかりがこいつに襲われた」
「え?え?」
 那智と浩之を交互に見る。益々理解できない。
「追っ手だと思ったから。だいたい話す間もなくとっかかってきたのは誰?」
「あいつを見て追っ手と思うか?普通」
「・・・・・・・・」
 今度は那智が押し黙った。
「あの・・・話が見えないんですけど」
 1人会話についていけずに取り残されていた葵が呟いた。


       *


「・・・つまり、那智ちゃんは神岸先輩を敵と思って、そこに居合わせた藤田先輩と戦った・・・ってことですか?」
「そうなるわね」
 葵の問いに那智が頷いた。そして浩之が口を開いた。
「一つ聞いていいか?」
「・・・何?」
 微かに眉間にしわを寄せ、那智が答える。
「なんで『そんな真似』をしている?」
「・・・・・・」
 那智は答えない。更に浩之は続けた。
「葵ちゃんの話じゃ、あんたは死んだことになっているそうだな。そして何かから逃げている・・・つまりあんたには『追われる理由』があるんだ。死んだままにしておかなくちゃならないくらいの。あかりから聞いたぞ『C.D.N.A.』って何のことだ?」


「・・・・那智ちゃんっ!?」
 だが、意外にもその言葉に反応したのは那智ではなく葵だった。
「葵ちゃん?」
 呆気にとられた浩之を押しのけ、葵が叫ぶ。
「なんで『あれ』が・・・本当に『あれ』が理由なの?どうして!?」
「・・・・・・お互い子供だったのよ。CROSS[クロス]の価値の恐ろしさに気がつかなかった・・・それだけ・・・っ!」
 言いながら那智が突然構えた。
「!?」
 驚く浩之。その構えはまさに『戦う』雰囲気を内包していた。自分と葵を倒すつもりなのか?
「・・・まさか!?」
 だが、葵はすぐに気がついていた。自分たちが『狙われている』ということに。
 感覚を凝らさずとも感じられるのだ。自分たちを取り囲む殺気に。
「・・・・・・絵に描いたような敵だな・・・」
 墓石の影から幾つもの黒い影が現れる。浩之は知る由も無かったが、昨日那智と綾香を襲った黒服連中だった。それでも冷静に感想を漏らす浩之。

−追い込まれたときこそ冷静であれ−

 そういった危機的な状態に対する心構えというものを、エクストリームという半ば無差別に近い格闘世界で浩之は学んでいた。無論これは葵の受け売りであり、もっと言うのなら彼女に空手を教えた清瀬の言葉ではあるのだが。彼の空手はスポーツというよりむしろ護身としての意味合いが強く、それ故に彼女たちは『死合いとして戦うことを前提とした』空手を習得していた。それが彼女たちの強さに直結していた。
「・・・早すぎる・・・これじゃあ。それに、葵・・・」
 微かに那智の顔に焦りが生まれた。実は那智がこの場で浩之達と出会ったのは全くの偶然だった。彼女はC.D.N.A.を運んでおり、たまたまその受け渡し場所がここであっただけなのである。余裕を持って早く出たのが裏目に出たこと、そして友達を巻き込んでしまった自責の念が那智の心を乱す。
「那智ちゃん・・・?」
 歩み寄る男達から身を守るように背中合わせに立つ三人。
「・・・観念しろ那智。あれを上に渡すわけにはいかん」
 リーダー格と思しき銀髪の男が3人の前に立つ。身長190センチはある大男であり、鍛え上げられた肉体の強靱さはスーツを通しても容易に見て取れる。肉体も強さも他の連中とは明らかに格が違っていることを否応なしに三人に理解させた。
「ラケシス・・・」
 忌々しげに那智が言う。ということはこの男が那智を執拗に追い回していた犯人の主犯格なのだろうか?浩之と葵は周りの男達の動向を気にしながらもラケシスと呼ばれた男を見つめる。
「・・・運がない」
 ぽつり、と漏らすようにラケシスが言う。その表情は敵を追いつめたことに対する優越感でも満足感でもなく、むしろ3人を哀れんでいるかのように見えた。
「運・・・?ふざけないでくださいっ!」
 その態度に葵が激昂する。だがラケシスはそんな葵の様子など意に介した様子もなく、淡々と喋り続ける。
「運がないと言った・・・その女と接触することがなければ、格闘の世界でそれなりに名を残し、相応の幸福も手に入れられたろうに」
 ラケシスは口調こそ穏やかだが表情は笑っていない。構え、徐々に包囲を狭めながら3人を崖と墓地とを分かつ柵の側へ追い込んでいく。
「殺る気満々じゃないか・・・前門のラケシス・・・後門の崖ってか・・・」
 構えを見つめながら浩之が言う。彼等は間違いなく3人を殺す気だった。その気配を察し、葵の顔に脂汗が流れる。相手の数はざっと見たところで10人ほど、しかもそれなりに訓練を積んだプロであることは動きから見て取れた。相手がラケシスだけなら3人がかりでどうにかなったかもしれないが、こうなっては手詰まりだった。
「・・・・・る?」
 不意に那智の声が響いた。葵と浩之の顔に疑問符が浮かぶ。この少女は何を言っていたのか?
「経験はある?と聞いた」
 今度ははっきりと言った。
「?」
 2人は何が何だか解らない。2人の様子など意に介さずに、那智が2人に向き直る。
「・・・『ダイビング』のよ!」
 言うが早いか那智は浩之に、そして葵に一瞬のうちに掌底をたたき込んだ。
「うあっ!」
「ぐはっ!」
 悲鳴をあげ、吹き飛ぶ葵と浩之。
 崖に向かって2人の体が飛び・・・そして万有引力の理に従い、2人の体が崖の底へと消えてゆく。
「・・・ラケシス・・・邪魔はさせない!」
 言うが早いか那智自身もすぐに2人の後を追って飛び立った。


 宙に舞い、小石のように落ちていく少女の体。

 ラケシス一行は、ただそれを呆然と見つめているだけだった・・・



  次回予告

 人は誰も、幸福を得ようとする。常識よね。
 この私、来栖川綾香の2人の後輩も、かくいう私自身もその気持ちはある。
 幸福は時に宝物と呼ばれ、恐らく全ての人はそれを探す。
 
 でも、宝物を手に入れようとすることだけが先走ったら?
 幸福になるために宝物を手に入れようとしていたのに、いつか宝物を手に入れる事だけが目的になったとしたら?
 本末転倒の思考、それが悲劇の始まりだった。

 次回、TO HEART SIDE STORY "The Winner have not been in this world"
      Episode 3:急速なる進化−Emergent Evolution−

 読んであげてね。


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