目の前に廃れた建物がある。
昨日見たばかりの学校だが、葵には今までと違って見えた。
彼女の心の中で、この学校の思い出と共に生きるものが一つ消えている。
たったそれだけの思い入れだったわけではない。
それだけ思い入れが強かった分、それを失った時の反動があまりにも強すぎたのだ。
一晩たった今、彼女の表情のかげりは変わっていなかった。
出発際に深雪が、学校まで送っていく、と申し出てくれたが、葵は遠慮した。
「大丈夫です。ちゃんと覚えてますから」
この言葉にどこまでの意味があるか分からなかったが、そう言う彼女の言葉と感情の矛盾点を、浩之も深雪も間違いなく感じ取っていただろう。
彼女の小さな背中が、増して小さく見えた。
まだ花をつけていない桜並木の道をゆっくりとした歩調で踏みしめる。
「懐かしいな・・・やっぱり・・・・」
ふいに漏れた言葉が、自らの胸を少し痛みつけた。
この「欠けている部分」はどうしようもないことだ。
そうわかっていつつも、彼女はしばしの感慨にふける。
「この運動場で葵ちゃんは遊び育ったんだな・・・・」
春の優しい風に吹かれて、浩之がつぶやく。
「ええ・・・今でも昨日のことのように思い出せます・・・」
両手を広げ、風と空を全身で抱き留めるようにして、彼女は続けた。
「初めて遊んだのはブランコでした・・・・・最初は怖くて乗れなかったけど、そこでできた友達が一生懸命応援してくれて・・・・やっと乗れるようになったんです」
少し上向き加減で目を閉じてみる。
「運動会・・・かけっこは前に誰もいないままゴールテープを切ることが多くて・・・・毎年あの日だけはクラスのアイドルになった気分だったなぁ・・・・」
すぅ、と、深呼吸で大地の香りを大きく吸い込む。
しばらくそのまま息を止め、やがてゆっくりと吐き出す。
「結局入学式から卒業式までずっとここにいたんですね私・・・・」
わずか、声のトーンが下がっていくのを、浩之は見逃さなかった。
「・・・・?」
「でも・・・・その時いつもそばに立っていてくれたのが・・・・・先生だったんです・・・・・」
「葵ちゃん・・・・」
うつむく彼女に、浩之はそっと歩み寄る。
が、葵の過去を詳しく知らない浩之には、この時かける言葉が見つからなかった。
「・・・・・そうだ!葵ちゃん、校舎内に入ってみようぜ!なにか残ってるかもしれないぜ!」
空元気(という表現はおかしいかもしれないが)を示す浩之の言葉に、少し遅ればせて葵が答える。
「そうですね・・・・ダメだなぁ私ったら・・・・・・それじゃあ私の昔の教室に行ってみましょうか!」
二人は校舎の中に入り、廊下を歩いていた。
所々ぎしぎしと鳴る板の床と、全体にほどよくかかった埃が、ここがしばらく使われていないことを語っている。
辺りを見回しても、どこも懐かしい風景ばかり。
ただ、どこか寂しい感じが漂っていることは、たとえ葵でなくとも分かっただろう。
やがて、二人はとある教室の前で足を止めた。
「ここが・・・私が6年の時の教室でした・・・・」
「そっか・・・・中に入ってみようぜ」
埃が舞い散らないように、ゆっくりと扉を開ける。
少しまぶしい。
日の光が、開いている運動場側の窓から溢れている。
「・・・・・」
無言で葵が足を踏み入れる。
ギシッという音が、誰もいない教室にかすかに反響した。
「変わってないな・・・・ここも・・・・」
小さく、独り言のようにつぶやく。
「葵ちゃんの席はどこ?」
「あ、ここです。私ほとんど一番前ばっかで・・・」
そう言って指した机を改めて自分で眺めてみる。
当時は大きく感じた机が今は小さく見えるのは、決して自分が成長したからだけではないだろう。
「あっ・・・」
「ん、どうした葵ちゃん?」
浩之がそう言うと、葵はフッと笑って机の端を指してた。
「ほらここ、私が書いた落書きがまだ残ってます」
「ホントだ。葵ちゃんでも落書きなんかするんだな!」
「・・・・もう!」
恥ずかしいのか、葵が顔を赤らめる。
しかし、それももう過去の思い出・・・・
―――――いくら思い出が残っていても、先生はもういませんから・・・・・
「あっ、そういえば!!」
「??」
なにかを思い出したように、葵は顔を上げた。
そして、素早く教室の端にある棚に駆け寄る。
「葵ちゃん?どうしたんだ突然・・・・」
浩之の質問に答える前に、葵は棚に置いてある小さな箱を手に取った。
「それは・・・何?」
「これ・・・卒業する前にみんなでタイムカプセル代わりに作った・・・」
蓋をそっと開ける。
「クラスアルバムなんです!」
中には、一冊のノート。
表紙に大きく『6−2卒業アルバム!!』と記されている。
ページを開くと、最初にクラス写真が貼ってあった。
次々と、ページをめくる度にクラスメイトの写真、メッセージ、イラストなどが飛び出してくる。
「あっ、この子!私が一番仲がよかった子です!・・・こっちの男の子はよく授業中に騒いで先生に怒られてました・・・・・あ、やだ!私の写真も貼ってる!?・・・・私の将来の夢、お嫁さんになる、ですって!!笑っちゃいますね!」
浩之を横に、思い出のたくさん詰まったアルバムを楽しそうに眺める葵。
友達のこと、クラス行事のこと、楽しかったことや悲しかったこと、たくさん話す彼女を見て、浩之は小さく微笑んだ。
「楽しかったなぁ・・・本当に・・・・」
「葵ちゃん・・・・?」
葵の表情の変化を、浩之は明らかに見ることができた。
頬に涙が伝う。
「せんせぇ・・・・」
声がかすんでいる。
「葵ちゃん・・・」
―――――その時。
窓から差し込む光が一瞬強く輝いた。
「!?」
「なんだぁ!?」
思わず反射的に手で目を覆う。
光が収まった。
窓の方を見てみる。
そこには、さっきまでのものと違う、薄いピンク色の光が漏れていた。
かすかに、笑い声が聞こえてくる。
「これは・・・?」
「・・・・この色・・・まさか!?」
アルバムを机に置き、窓から外を見る。
「こ・・これは・・・・・・」
二人の目に映ったもの・・・・
それは、満開の桜並木と、校庭を駆け回る子供の姿―――――
「あぁ・・・・これは・・・・・あの時の学校の風景・・・・・?」
「・・・・本当かよ・・・」
鬼ごっこをしている子供たち――――
みんな笑いながら校庭を走り回っている。
鉄棒にしがみつく少年――――
ゴムたんをしている少女たち――――
そして―――――
そして、桜並木で一番大きな木に、たくさんの子供が集まっている――――
子供たちが見つめ上げる視線の中心には、一人の優しそうな女性―――――
「先生!?」
葵が迷わず叫ぶ。
そこにいるのは、紛れもなく、懐かしいあのさよ先生だった。
さらに、その横に、一人の少女が先生に向かってなにやら話しかけている。
楽しそうに会話をする、青髪の少女――――――
「あれは・・・・小さい頃の私・・・・?」
そこにあるものは、さっきまで忘れていた葵の心の一欠けだった―――――――
――――・・・ありがとうございます先生・・・・・・
やがて、光は薄くなってきた。
校庭の風景が、だんだんと消えてくる。
――――先生・・・・
『大きくなったわねぇ・・・・葵ちゃん』
――――はいっ!先生!!
その一言を残し、光は消えて無くなった。
あとに残ったものは・・・・・思い出と一冊のアルバムだけ――――――――
――――さようなら先生・・・・おやすみなさい・・・・――――
―FIN
【あとがき】
まず、100000HITおめでとうございます。
お祝いの意味を込めまして、火鳥と葵惑星で感動巨編の共同SSを書かせていただきました。
今回のSS、いかがだったでしょうか?
これは葵ちゃんが卒業した小学校に関する話です。
ここでは舞台設定として、「葵ちゃんは中学の時に今の家に引っ越してきて、それまでは少し田舎に住んでいた」となっていますが、決してそれが本当かどうかは分かりませんのでご理解ください。
ちなみに、前半部分の一人称が葵惑星著、後半部分の三人称が火鳥、シナリオが火鳥、という構成で1、2ヶ月前から秘密裏に制作しておりました(笑)。
詳しいことは、SS感想掲示板で出た質問にお答えするという形で行きたいと思いますので、ご了承ください。
それでは、どうもありがとうございました。
To 『葵ちゃん応援ページ』ひろりん By 火鳥泉行&葵惑星