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…そのとき、俺には一体何が起きたのかが理解できなかった。
ただ降りしきる雨の中、周りの人達が様々にざわめきあってる中、倒れたまま動かない葵ちゃんをただ呆然と見つめることしかできなかった…。

<〜雨に誓って〜>


 あれからもう1ヶ月が経とうとしている。
あれから…そう、葵ちゃんが交通事故にあったあの日から。


「…先輩、今日はあんまり練習ができませんでしたね」
降りしきる雨を恨めしそうに見ながら葵ちゃんがつぶやく。
「まぁ、そういう日もあるよ。いいじゃない、たまには休まないと身体だってもたないよ。どうせ毎日のように練習してるんだろ?」
「そりゃあそうですけど…でもあと1ヶ月でエクストリームが始まるんですよ。いくら練習したって足りないくらいですよ、私なんか」
こういう自分を卑下したような言い方をするのが葵ちゃんのクセだ。もう少し自信を持ってもいいと思うんだけどなぁ。
「なんだったらまたやったげようか、『葵ちゃんは強い』って」
「そんなぁ、こんなところで恥ずかしいですよ」
「…大会の時だってば」
「あ…なに勘違いしてるんでしょうね、私ってば」 
普段と何も変わらないありふれた会話。ありふれた日常。そしていつものように別れようとしたそのとき、その日常は崩れていった。
「…あ、先輩に借りてた本、返すのすっかり忘れてましたね。今から取って来ますんで、ちょっと待ってていただけますか?」
「別にいいよ、いつでも。雨だって強くなってきたしさ」
「そんな、早く返さないと悪いですよ、ちょっと待っててくださいね。それに…」
「それに?」
「い、いいえ、何でもないです、それじゃあ待っててくださいねっ!!」
それが元気な葵ちゃんを見た最後だった。
戻ってきたときに、道を飛び出して、そのままトラックに…。


…葵ちゃんのそばには大きな紙袋が落ちていた。
中には一着の新品の空手着と…俺へのメッセージが…
…「お誕生日おめでとうございます」だって…
 命には別状はなかった。無意識のうちにもそれなりの受け身をとっていて、頭を強打したりしていなかったのが幸いだったらしい。ただ…左腕を痛烈にたたきつけてしまったらしく、骨折どころか神経がかなりぼろぼろになってしまったらしい…骨折が直ったとしても、今のままではかろうじて日常生活に支障がない程度しか動かないらしい。もちろん、格闘技などはもってのほかだそうだ。


 格闘技…綾香と戦うために、エクストリームへ向けて、今まで一生懸命練習してきた葵ちゃん。いわば葵ちゃんの生き甲斐みたいなものといえよう。それを奪われてしまった…葵ちゃんのショックは想像をはるかに上回るものだったらしい。
 あれからよくお見舞いにいくけど、葵ちゃんは明らかに変わってしまった。俺が一緒にいるときは一応明るく振る舞ってるけど、なんというか、まるで魂が抜けたようになってしまった。以前のような、真っ直ぐな明るさというのが全くなくなってしまったというか…とにかく葵ちゃんは変わってしまった…。


 そして1ヶ月。葵ちゃんの退院の日だ。
…皮肉なことに、エクストリームの初日でもあるという…。
 葵ちゃんはもう帰ってきてるかな。葵ちゃんに是非ともいいたいことが…。


ぷるるるるるるる…
あ、電話だ。俺は電話を取った。
「…もしもし、藤田さんのお宅でしょうか、私、松原ともうしますが…」
「あ、葵ちゃん! どうしたの?」
「あ…先輩ですか…? あの、実は…少しお話ししたいことがあるんですが…」


 俺は今駅前に来ている。葵ちゃんはまだ来ていないらしい。
でも…話って一体何なんだろう? まぁこっちも用事はあったからちょうどよかったんだけど…。しかし今の状態の葵ちゃんが話したいことっていうくらいだしなぁ…。
「あの…先輩?」
あ、葵ちゃんの声だ…あれ?
辺りを見回しても、それらしい人は見あたらない。目の前にいるのは、ふりふりのフリルつきの服を着てる、ショートカットの女の子…ああーーっ!!!
「あ…葵ちゃん?」
「…そうですけど、何か変ですか?」
「変じゃないけど…むしろかわいいけど…ちょっと意外だなぁって」
大体、葵ちゃんってばホントに外出時には制服を着用してくるような真面目な子なのに。いったいこんな服どうしたんだろう?
「これですか? …綾香さんが見立ててくれたんですけど…かわいいっていってもらえてうれしいです…」
葵ちゃんは真っ赤になってうつむいてた。
…ホント、かわいいよなぁ。綾香のセンスもあるだろうけど…センス…センス…
…こんなの着せるかぁ、綾香ぁ…。


「退院おめでとう、葵ちゃん」
「はい! ありがとうございます!」
…あれ? いつもの葵ちゃんに戻ってる?
普段通りの元気な声で葵ちゃんは返事をしてくれた。
「…で、話って何なの?」
思い出して、葵ちゃんに聞いてみる。すると葵ちゃんは聞こえてないかのように、
「さ、先輩、いきましょう! 退院祝いに、今日は私にずぅっとつきあってくださいねっ!!」
そういって葵ちゃんは先に歩き出す…。
「…先輩…痛いですよ、どうしたんです?」
…え?
…気がついたら、俺は先に行こうとしていた葵ちゃんの腕をしっかりとつかんでいた。
「…あ、ごめん、なんか…」
「え?」
無意識のうちに口から言葉が流れていく。
「…葵ちゃんが、どこか遠くにいっちゃいそうな気がしたから…」
それを聞いた葵ちゃんの顔が、一瞬だけど曇ったのを見逃さなかった。
「…そんなことないですよ、先輩。さぁ、いきましょう!!」


 そんな感じでその日は1日中、葵ちゃんといろいろなところへいった。洋服を見に行ったり、ゲーセンに行ったり、ファーストフードにいったり…。左手が使いにくそうだったが、気にさせたら辛いだろうから、気付かれないようにフォローしたり、話題は避けたり。した。端から見ればごく普通のデートの光景なんだろう。でも、やっぱりなんか変だ。なんだか一生懸命思い出を作ってるみたいな…そんな感じがする…。


 日もいい加減落ちてきて、辺りはもう真っ暗だ。
葵ちゃんは俺の前をゆっくりと歩いている。
「今日は一日楽しかったですね、先輩」
「…葵ちゃん…話って何?」
「…先輩の方こそ、何かあるんじゃなかったんですか?」
…どうしても葵ちゃんはまだ話したくないらしい。じゃあこっちから。
「葵ちゃん…これ」
俺はポケットから小さい箱を取り出した。
「…え?」
「ほら、誕生日プレゼントくれたじゃん。そのお礼。あと退院祝い」
「…あけてみていいですか?」
葵ちゃんが箱を開けると、中には指輪が入っている。
「先輩…これ…」
「…まぁ、月並みとは思ったけど、女の子に送るのならこういうのがいいかなぁと思って」
「………」
…葵ちゃんは黙ったままじっとしている。
「…葵ちゃん?」
「どうして…せっかく決心がついたのに…どうして?」
「…えっ?」


…気がつけば、また雨が降り出している。ちょうど1ヶ月前のあの日のように。
俺と葵ちゃんは、傘も差さずにそのまま立ちつくしている。
「…決心って?」
俺は意を決して葵ちゃんに聞いてみた。
「…先輩と離れてもやっていけるという決心です」
「…離れるって? 何だよそれ?」
「…私の左手…直るかも知れないんです」
「えっ?」
「アメリカには有名な先生がいて、その先生の所にいけば直る可能性もあるらしいんです。あくまで可能性ですが。実際、可能性はかなり低いらしいですが」
「ホント?よかったじゃん」
「…でも、そのためにはアメリカに行かなきゃいけないんです。それもすぐに。しかもリハビリとかも含めて、1年近くはアメリカにいなきゃならないんです。しかもそれでも完全に直る保証はないそうです。ましてや前みたいに格闘技を続けようというのはさらに難しいとか」
「それでも少しは可能性があるんだろ?だったらそれにかけなきゃ」
「…でも…でも!!」
葵ちゃん…何か普通じゃなかった。今まで見たことのない葵ちゃんだった。
「…1年も先輩と会えないんですよ! 私…そんなの耐えられません!! 私、先輩のこと大好きです! ずっと一緒にいたいって思ってます!! それなのに…なんでこんなことになっちゃったんでしょう? …この…この左手さえまともに動いてくれればこんなことにはならないのに…この左手さえ…」
そういうと葵ちゃんは自分の左手を叩き始めた。最初は弱かったけど、少しずつ力がこもっていくのをみて、俺は慌てて止めに入った。
「やめなって、葵ちゃん!そんなことしたって何にもならないんだから!!」
気がつけばさらに雨は強くなってきている。そんなことにもお構いなしに葵ちゃんはひたすら自分の左手を叩こうとしている。
「…なんで…なんで…こんな苦しまなきゃならないの? どうして私から大切なものを奪っていっちゃうの? 格闘技だって…先輩だって…私にとってはかけがえのないくらい大切なものなのに…どうして…どうしてぇ!?」
気がつけば葵ちゃんも俺もずぶぬれになっている。
…葵ちゃんの顔は雨以外のものでも濡れている…。
俺は…葵ちゃんを抱きしめた。
これ以上濡れないように…身体はびしょぬれかも知れないけど、ぼろぼろになってる心にまで、雨が染み込んでいかないように…。
「…せん…ぱい…?」
「…大丈夫…俺はちゃんといるよ…いなくなったりしないよ…帰ってくるまでちゃんと待ってるよ…葵ちゃんは俺がいないとだめだし、俺だって葵ちゃんがいないとだめだから…
大丈夫…葵ちゃんの大事なものはなくなったりしないよ…そのためにアメリカまで行くんだろ?」
「…そうですね…そうでしたね…ごめんなさい…」
葵ちゃんも少し落ち着いたようだ…身体から力が抜けていく…。
「でも…すごい自信ですね…私には先輩が必要だって」
「…違った?」
…返事の代わりに、葵ちゃんは俺の背中に両手を回してきた。
「もう…知りません…」
「葵ちゃん…怒った…?」
「…はい」
「…ごめん」
「…許して欲しかったら、もう少しこのままでいてください…」


それから数日後…葵ちゃんはアメリカに行ってしまった。
もちろん見送りには行ったけど、割とあっさりとしてたもんだから、一緒に来てた綾香がなんか残念そうにしてた…そうそう思い通りにはならないってーの。
「…なんかいった、浩之!?」
…いけねぇ、まだそこにいるんだった。
俺達は2人で葵ちゃんが乗っているであろう飛行機を眺めていた。
「寂しくなるわねぇ。でも浮気はだめよぉ?」
「誰がするかってーの。久々にあったら葵ちゃんがどんなに美人になってるか、今から楽しみだよ。おまえより綺麗になってるかもな」
「あらぁ、てーことは今は私が綺麗ってことね」
「…はいはい…」


今日はいい天気だ…大丈夫、離れてたって俺達は変わりはしない。
1ヶ月前の…あの日の…俺達の道を変えた、あの雨に誓って…。

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