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「表層の、裏」

                                   赤右京




「…だから、…先輩には、…とても悪いんですけど、クラブ、今日で終わりにさせて
ください」

あれから…
葵ちゃんとの2人だけのクラブが解散してから、1年が過ぎようとしている。


時計を見ると1時を回っている。
決勝戦は正午からだから、もう間に合わないかもしれない。
いらつきながらも一縷の望みを抱きつつ、浩之はバスに乗り込んだ。

葵ちゃんが空手部に入って以降、うちの学校はとたんに強くなった…ような気がす る。
今日のインターハイも、実はうちの学校としては初参加なのだ。
それで決勝まで来てしまっているのだから、あながち的外れな推測ではないのかもし れない。

バスが武道館に到着する。

何とか1試合くらいは見れるか…と思いながら入り口の扉まできたとき、中から大歓 声が沸き起こった。

やべっ。もう終わっちまったか?
急いで中に駆け込み、電光掲示板に目をやる。
ルールは5人1組の団体戦。たった今、その5個目の丸印が表示された。
結果は…2勝3敗で、負け。
俺はふうっ…と息をつく。ま、初出場で準優勝なら大したもんだ。

ただ、俺にとっては部としての勝敗なんか、はっきり言ってどうでもいい。
それよりも、葵ちゃんだ。

改めて掲示板を見る。
松原…、松原…と。

…ない。

学校名を確認し、もう一度読み直してみる。
しかし、「松原葵」の文字は、どこにもなかった。
おかしいな…。
ひょっとして、怪我でもしたのか?
俺は、会場のほうへ降りていった。

表彰式を終え、選手たちが帰ってくる。
その中に、俺は見覚えのある顔を見つけた。─坂下だ。

「よう。準優勝、おめでとさん」
「藤田?なんであんたがここにいるのよ」
「母校が決勝戦まで来てるってのに生徒が応援に来ちゃ悪いのか。
 イヤそんなことより、葵ちゃんはどうしたんだ?見たところ表彰式にもいなかった けど…」
「葵ならさっき裏の水飲み場に行ったきり帰ってきてないけど…」
「裏の水飲み場だな?サンキュー」
「あっでも今は…」
坂下はまだ何か言いかけてたが、俺はもう聴いていなかった。

裏の水飲み場…ここだな。葵ちゃんは…。
あたりを見回す。
………いた。
木陰に腰を下ろして休んでいる。
あの真面目な葵ちゃんが表彰式にも出ないで休んでるなんて、よっぽど疲れたんだろ う。
ぼんやりと地面に視線を落としたまま、何やら考え事をしているようにも見えた。

「うっす!葵ちゃん」
俺は気軽に声をかけた。
一瞬びくっとしながら、ゆっくりと振り返る葵ちゃん。
「…ふ、藤田先輩?」
「決勝、残念だったな。2−3で負けちまったよ」
俺は努めて明るい声でそう言った。
しかし、葵ちゃんはまた元のように視線を落としながら答えた。
「そう…ですか…」
「でも惜しかったな。あと1勝ってとこだったのに。葵ちゃんが出てたら優勝できて たかもしれないぞ」
「…そんなこと…ないですよ…」
顔をあげようとしない。
なんだ?なんか様子が変だな。
俺は少し話題を変えてみた。
「…でもどうして決勝戦に出てなかったんだ?もしかしてどっか怪我でも…」
言いかけて、俺は言葉を失った。
あまりにも悲しそうな、葵ちゃんの顔。
やがて、消え入りそうな声で、葵ちゃんが答えた。
「…私、…決勝戦では、……外されたんです」
………え…?
「いえ、…それどころか………私…、今大会では…、…1勝もあげてないんです…」
………そんな、だって、葵ちゃんは、あんなに………。
俺はしばらく、葵ちゃんの言葉が理解できなかった。
葵ちゃんは続ける。
「私…、もうだめかもしれないんです…。もう、格闘技自体をやっていく自信が…、 ないんです…」
─それは、その言葉は。
「…もう、試合中も怖くて…、体が、動かなくて…。早く舞台から降りたい、早く負
けちゃいたいって、そんなことばっかり…」
─1年前の、あの時の。
「…でも、こんなこといったら相手の方に失礼ですよね。ですから、悔いは残してい ません」
無理に微笑みながら、そこで葵ちゃんはもう一度こっちを向いた。俺は言葉に詰ま る。
さっきは遠間だったからわかりにくかったけど…。
…葵ちゃん。
「…決勝で私が外されたのも、ですから、当然の配慮だと思っています。逆にちょっ と安心してたりして…」
嘘だ。
じゃあ、なんでそんなに、 真っ赤な目してるんだよ。
「私、もっともっと練習を積んで、少しでも坂下さんや他の先輩たちの期待に応えら れるよう…にっ…て…思うんですけ…ど…」
か細い声が、小さな肩が、震えている。
「でも…、もう最近では、練習も、辛いんです。…あんなに楽しかった格闘技なの に、何でこんなことしなくちゃならないんだろうって…」
葵ちゃん…。
「…でも、先輩が来てくれてたなんて、とってもうれしいです。私、次からはもっと 頑張って…」
葵ちゃん。
「…せんぱい、今日は、こんな私の話を聞いてくれて、本当にありがとうございまし た。おかげで、少し楽に…あっ!」

俺は、強引に葵ちゃんを引き寄せ、しっかりと抱きしめた。

俺は、バカだ。
何で、今まで気づかなかったんだ。
この子が、ひたむきさの裏に、大きな不安を抱きつづけていること。
この子は、誰かが支えてあげなくちゃいけないこと。
例えようのない罪悪感で、胸が締め付けられる。

「…せ…、せんぱい…?」
びっくりした声で尋ねてくる。その頭をぎゅっと抱きながら、俺は言った。
「…まだだ」
「…え…?」
「まだ、足りない。葵ちゃんはまだ、自分を押し込めてる」
「………」
「自分の実力が思い通りに出せなくて悔しかったんだろ?目標だったエクストリーム
が続けられなくて辛いんだろ?」
「………」
「…不安な気持ちに押しつぶされそうで、怖いんだろ?」
「………」
「他人のことを第一に考える。その気持ちは大事だと思う。…でも、たまには自分を 思いっきりさらけ出してもいいと思うぜ?」
「…せんぱい…」
「俺は、もう葵ちゃんから逃げない。だから、俺にだけは、本音を言ってくれ」
「………」
「このままじゃ、葵ちゃん、ぶっ壊れちまいそうで、みてらんねぇよ」
俺は腕に力をこめる。

葵ちゃんはしばらく胸の中で固まっていたが、やがて

「……う…っ、ううぅ…っ、…せ…、せんぱぁい……」

そのまま、崩れ落ちるように、俺に顔を押し付けて、泣き出した。
「…わ、わたし、…もういちど、せんぱいと、いっしょに……ううぅ…っ!、うう うぅっ…!」
腕の中で、声を押し殺して泣く葵ちゃんを、壊れそうなほど強く抱きしめた。

1年前、あの夜の公園で抱いていた迷いは夕闇に霧散し、俺の中で、新たな決意が生 まれる。

もう2度と、この子を、1人にはしない。




あとがき

葵シナリオ、最終選択肢でAを選んだあと…をイメージしてみました。

うーんでもやっぱり元のシナリオに追加するというのは…難しいですねぇ。
結局繰り返しになっちゃってるような気がします。

まあ、「発表する」って事は「恥をかく」って事だと思いつつ、 こんなのでも気に入ってくださる方が居られれば幸いかと。

ではまた。

1999 5/27 赤右京


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