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         TO HEART SIDE STORY

                         
"LAST MULTI"


 斜光が降りていた。
 昼の盛りと夜の帳の狭間のほんの僅かな黄昏に、世界は緋に染まる。
 紅く染まる夕暮れの丘。
 遠く潮騒が聞こえ、丘には海から運ばれる潮風が吹き渡る。
 
 墓標が立ち並んでいた。
 小高い海辺の丘を埋め尽くすかのように、無数の白い墓標が立ち並んでいた。
 幾星霜の時を刻んだ色あせた墓標、悲しみを色濃く残す真新しい墓標。
 緋色の光に満たされたその光景は、まさしく世の黄昏だった。

 
 そのただ中に、命の緑が化身したような姿が見える。
 それは、碧の髪と瞳を持つ少女。

 美しさ、と言うよりはむしろ愛らしさを持つ少女だった。
 ただ、唯一少女に特異さを求めるというのなら、耳に付けられた板状の機械部品のようなものだった。


 少女は、立っていた。眼前の白い墓標の前に。

「・・・・・・・」
 何かを呟き、少女は糸が切れたかのように墓標へと倒れ伏す。
 何かを掴もうとするかのように手を天にかざし、少女は天を仰ぎ見る。
 それでも緋色に染まった空には少女の求めるものは何一つなく、少女の双眸から、光るものが溢れ出した。
「・・・・・・・」
 少女は再び呟く。
 そして力つきた腕が地に落ち、瞳が閉じられた。


 夜の帳が降りる頃、少女はその場で息絶える。

 二度と訪れることのない光を夢見たまま・・・





       1


「はわ〜。今日もいい天気ですね、浩之さん」
 碧の髪と瞳を持ち、耳に板のような機械部品をつけた小柄な少女が、雨戸を開けながら部屋の奥にいる人物に向かって呼びかけた。
「ああ・・・そうだな。マルチ」
 浩之と呼ばれた男が、マルチと呼ばれた少女の元へ歩みながら呟いた。抜けるように青空が広がり、遠くでは雀の囀る音が聞こえる。穏やかな時の流れに相違なかった。
「あ、足下に気をつけてくださいね」
 歩み寄る浩之の傍らにマルチが駆け寄り、浩之の手を握りしめた。
「ああ・・・」
 老いた手だった。否、浩之という人間はヒトとしての終焉を間近に控えた存在だった。髪は白く染まり、マルチの手を握りしめるその手も皺が無数に走り、かさかさに乾いていた。縁側に腰を下ろし、2人は外を見回した。



 海辺の斜面に出来た街だった。遠くには陽光を照り返して輝く蒼い世界が、遥か水平線の彼方まで広がっていた。
「マルチ」
 唐突に浩之が立ち上がり、遠くに視線を向けたまま浩之が言った。
「はい、何でしょう?」
 にっこりと微笑みながらマルチが答える。見るものの心を穏やかにするような、そんな無垢な笑顔。
「出かけようと思うんだが、来るか?」
「はい。何処へでも」
「・・・そっちは、大丈夫なのか?」
 即答したマルチに微かに心配の色を浮かべ、浩之が問うた。
「大丈夫ですよ・・・」
 即答したマルチの表情に、ほんの一瞬だけ暗い影がよぎった。
「・・・そうか」
 それが意味するところは浩之も十分すぎるほど理解していたが、あえてそれ以上追求することはせず、マルチの頭に手を置き、すぐに家の中へと入っていった。

「あ、まってくださ・・・」
 その後を追おうとした時だった。
−バチッ!−
「!」
 一瞬、マルチの全身に痙攣でもしたような衝撃が走った。
「どうした?」
 浩之が振り返る。
「い・・・いえ何でもないです」
 誤魔化すようにマルチは笑った。



       2


 メイドロボット。
 マルチを分類するとそういう種類の存在と言うことになる。俗にアンドロイドと呼ばれる人間と同サイズの人型ロボットといえば判りやすいかも知れない。人型ロボットにも戦闘用、危険領域作業用と言ったような様々な使用目的があるわけだが、彼女たちは介護用ロボットというのが本来の役割だった。高齢化社会とそれに伴う労働力の不足の解消。それが彼女たちが開発された理由だった。役割的には介護用としての意味合いが強く、マルチの開発コード[HMX-12]も[Home Meido Prototype NO.12/試作型メイドロボット12型]という事になるからであった。「いいお天気ですねえ」
 街路樹の隙間から降り注ぐ陽光に目を細めながらマルチは言った。道全体がなだらかな下り坂で、遥か遠くには、港と水平線が広がっていた。散歩には絶好の日和といえた。
「ああ」

 やがて2人は港町を抜け、海辺の小高い丘の上へと歩みを進めた。芝生に覆われた丘の上に、無数の十字架が乱立していた。浩之達の他には誰一人としてその場にはおらず、うら寂しい雰囲気を醸し出していた。
「・・・藤田浩之様、マルチ様ですね?」
 その時、2人に声をかける者がいた。2人が背後を見やると、作業着に身を包んだメイドロボットがいた。ブルネットの髪を肩口で切りそろえ、やや切れ長の瞳を持つ20歳前後の女性の姿をしている。
「リリトさん。お久しぶりですう」
「元気そうだな、リリト」
 マルチと浩之がそれぞれリリトと呼ばれた女性に声をかけた。
「お元気そうで何よりです」
 会釈し、微かにリリトは顔を綻ばせた。HM-23型メイドロボット。それがリリトの正式名称だった。マルチと同じく来栖川エレクトロニクスが作り出したメイドロボットであり、この墓地の管理人でもあった。
「・・・もう、ここに来る方も少なくなられました」
 そう言ってリリトは遠い目をして墓地を見回した。リリトのブルネットの髪が、海風に吹かれて微かに揺れた。微かに憂いに満ちたその横顔を見つめながら、浩之はかつてのマルチの親友を重ね見た。
「・・・そうか」
 短く答え、リリトから受け取った柄杓と手桶を持ち、浩之が歩き出した。
「あっ、待ってください浩之さん。それじゃリリトさん、また後で」
 リリトに会釈したマルチが、花束を片手に浩之の後を追った。
「・・・・・・・・」
 リリトは何も言わず、ただその光景を見つめていた。




       3



「・・・久しぶりだな、あかり」
 十字架の一つの前で、浩之は微かに微笑みを浮かべて呟いた。
「今となっては、残ったのは俺だけか」
 周りの墓標を見渡しながら、浩之が呟いた。
「浩之さん・・・」
 そんなとき、瞳を潤ませながら自分を見るマルチの存在に気がついた。
「マルチ、どうした?」
「い、いえ・・・」
 曖昧に言葉を濁すマルチ。おそらくはマルチも俺の残りの灯火が短いという事に気がついているんだな、と浩之は思った。マルチは良くも悪くも感受性が鋭すぎるロボットだった。次々と知り合いを失う悲しみは普通の人間よりもより鋭く心に突き刺さる者だった。
「・・・・・・・」
 ざっと周囲を見渡す浩之。何故かここには示し合わせたかのように彼の知り合いの墓が建てられていた。幼なじみのあかり、雅史、志保、そして様々な縁で知り合った人間達がここで眠っていた。
「・・・・・いくか」
 ややあって、浩之があかりの墓標に背を向けた瞬間だった。
「!?」
 突如、世界が闇に閉ざされた。
「う・・・あ・・・」
「浩之さん!?」
 マルチの呼び声が響いた。だがそれが浩之の意識に届いたかは判らなかった。全身がまるで浮いているかのように感覚がなくなり、最早指一本自力で動かすことはかなわなかった。
「浩之さん、浩之さん!リリトさん、リリトさん!」
 管理事務所から何事かとリリトが駆け寄ってきた。


 そして、浩之が立ち上がることは二度となかった・・・



       4



 マルチはただ、空を見つめていた。
 涙を流すことも、叫ぶことも出来なかった。感情回路がオーバーロードでも起こして、何も感じられなくなったというのだろうか?そんな考えが彼女の脳裏に不意によぎった。長く親しんだこの家も、今は何か広々としてずいぶんと空虚に感じられた。
 葬式が済んでからもう1週間は経過していた。マルチの処遇は今だ決定されておらず、日がな一日こうして虚空を見つめるだけの日々が続いていた。だから『それ』をマルチが見つけるまで、かなり時間が経ってしまったのも無理からぬ事だったろう。それでも運命というのは不思議なもので、マルチと『それ』を巡り合わせることとなった。
 それは・・・・・・


「・・・・・・・?」
 窓からの風に吹かれて落ちてきた小さな封筒がマルチの目に止まった。何気なくそれを拾い、そしてマルチの表情がこわばった。
『マルチへ』
 それは見まごう事なき浩之の文字だった。
「・・・・・・・・」
 震える手を必死に動かし、封を切る。文字の一つ一つに神経を集中させ、そしてマルチは知ることとなる。

 死の間際に浩之が残した、最後の意志を・・・



  −マルチへ−

−今お前がこの手紙を見ているということは、多分俺はこの世には居ないだろう。まあ、遺言状なんてものは普通死んだ後に開けられるものだからな。当たり前のことだな−

 マルチはただ淡々とその文章を読み上げる。

−話がこじれたな、元に戻そう。お前は多分・・・悲しんでいるんだろうな。お前を残して消えていく俺も、そのことを突かれたら返す言葉もないし申し訳ないと思う。それは先に逝ったあかりも、雅史も、志保も、葵ちゃんも、芹香先輩も、綾香も他の奴らも同じだろう。ただ、お前には伝えなければならない事がある。迷惑じゃなければ、聞いてほしい−

 微かにマルチは戸惑いの表情を見せた。

−何処から話せばいいのかな?ま、ともかく話はずいぶんと前にさかのぼる。そう、それは俺とお前が再会することが出来たあの日からちょっと経ってからの事だった。俺とお前の再会をドラマティックに演出したあのおっさん・・・そう、長瀬源五郎開発主任と会うことになったんだ。その時の話だよ−

 マルチはただ呆然と、文章の続きを見つめていた。




       5



 長瀬が待ち合わせに指定した場所は、長瀬と初めて会ったあの公園だった。
「やあ藤田君、今日もいいお天気で。迷惑だったかい?」
 いつもの飄々とした独自のスタンスを崩さないまま、長瀬は浩之に話しかけた。手には豆の入った袋を持ち、足下に群がる鳩へと餌代わりにまいていた。そう、あの時と同じように。
「いや、そんなことないですよ。どのみち礼を言いに行くつもりだったから、マルチも一緒に」
 何故か長瀬は浩之一人で来るように指定していた。多少妙な気がしないでもなかったが、別に断る理由もないのでこうして一人でやってきていた。
「マルチは、元気でやっていますか?」
 鳩達から視線を移さずに、長瀬は訊ねた。
「ああ。こないだもあかり達と一緒に出かけたりもしたし、過ぎるくらい元気ですよ。なんならこの場に呼んでみましょうか?」
 言いながら浩之が携帯電話を取り出す。
「いえ、今日の話をあの子に聞かせるのはいささか酷ですから」
 小さく、それでもはっきりと長瀬は否定した。
「酷・・・?」
 事情を飲み込めない浩之が怪訝な眼差しを長瀬に向ける。
「ま、どうです。散歩でもしながら」
 空の豆袋を丸めて捨てた後、長瀬が立ち上がった。いささか妙な気がしたが、結局浩之もその後を追った。




 穏やかな昼下がりだった。公園では子供達がボール遊びに興じ、ベンチでは高校生くらいのカップルが、他愛ない話題に花を咲かせていた。
「妙なことをお聞きしてもよろしいですか?」
 そんな光景を眺めながら、不意に長瀬が声をかけた。
「え?ええ」
 頷く浩之。
「貴方はマルチ以外に・・・結ばれたいと思われる方がおありですか?」
 全く予期せぬ問いだった。
「何で・・・そんなことを?」
「ま、ストレートに言ってしまえば、貴方が子孫を残したいと思われるかどうか、ということでしょうね」
 身も蓋もない言い方だったが、長瀬はさらりと言ってのけた。
「あの子はメイドロボットです。貴方が誰かと結ばれても、貴方も、勿論貴方が選んだ方も含めて愛するでしょう」
「・・・そうですね。あいつは、マルチはそういう奴ですから」
 少なくとも、今までマルチは関わった人間に対して悪意や敵意を向けたことなど一度としてなかった。それは機械である故なのか、それとも時が作った彼女の意志がそうさせたのかは判らなかったが。
「あかりにとっては妹、志保にとってはいい聞き手、葵ちゃんにとっては親友・・・みんなあいつをよく見てくれていますよ」
 マルチと関わった人達を思い起こしながら、浩之は言った。
「・・・そうですね。あの子はそういうところがあった。ヒトを引きつける何かが・・・だからこそ、手向けに相応しいのでしょう」
「手向け?」
 子供達の姿を見つめな続ける長瀬に浩之が戸惑ったような声をかけた。
「滅び行く世界への手向け・・・ですよ」
 穏やかに、そしてはっきりと長瀬は言った。




「何の冗談なんです?第一滅ぶって・・・?」
 笑って澄まそうとする浩之。しかし長瀬の瞳は真剣だった。
「高齢化社会の問題は御存知ですね」
 浩之は頷いた。20世紀の終盤辺りから主に先進国で危惧されるようになった問題で、マルチ達メイドロボットも来るべき将来に備えて介護用の存在として作り出されたのだから。
「時に藤田君は、今の出生率がどの程度だか御存知ですか?」
「さあ・・・?」
「0.01%ですよ。実に百組の夫婦に1人と言った具合です」
「何だって?」
 思い当たる節がないわけではなかった。ついぞ前に自分の卒業した小学校が廃校になった。ここ最近子供達を見かける数が少なくなった。それでも正直そこまでとは思えなかった。
「原因は色々言われています。が・・・対応が遅すぎたのでしょう」
 それだけ言って、長瀬は空を仰ぎ見た。浩之もその原因はいろいろと聞いたことがあった。
 曰く、最近の社会形態では子供を育てるメリットがない。つまり農家の子供なら労働力としての存在価値があるが、工業化社会に於いて子供は『消費者』でしかない。
 曰く、遺伝子が欠陥を持っており子供を作れない。これは20世紀後半から論じられてきたことだったが、特別これと言った措置が採られることはないまま今に至っていた。
 曰く、子供を育てる環境がない。即ち保育所、幼稚園といった設備がないため子供を作ろうという気が起こらない。
 エトセトラ。
「・・・手遅れだって言うのか?」
「少なくともこの国では・・・あと百年もたたないうちに終焉を迎えるでしょう。芹香お嬢さんの仰るようなカタストロフィーは、強大な力を持った魔王ではなく、自らの危機に目を背けたヒトそのもの・・・そういうことなのでしょうね」
 そうつぶやいた長瀬の足下に、こん、と小さなゴムボールが当たった。
「おじさーん、とってもらえませんかあ」
 遠くで赤い髪をした少女が手を振って叫んでいた。浩之が拾い上げ、投げ返してやる。そして少女達は何事もなかったかのように、再びボール遊びに熱中し始める。その姿を見つめながら、浩之は問うた。
「何故、俺にそんな話を?」
「・・・いえ、知ってて欲しかったのですよ。正直もう取り返しのつかないところに来ています・・・それでも、真実を知る人間は必要と思いましてね」
 言って、長瀬は立ち上がった。浩之に背を向け、長瀬は言う。
「今度は、貴方の家にもおじゃまさせてもらいますよ。娘の嫁ぎ先を見たいのは親の心ですから」
 浩之は何も答えることは出来なかった。落ち行く枯れ葉と猫背の彼の背中が、妙に印象に残った。



       6



「・・・・・・・・」
 マルチも気がついていないわけではなかった。時が経つに連れ子供を見かける回数が減っていたことに。だが、自分の存在理由がこんな事にあったとは今の今まで知る由もなかった。

−俺も色々と調べてみた・・・が、結局は無駄だった。それどころか俺まで遺伝子異常があることが発覚した。他の子たちも多分同じだと思う。気がついたときには全てが手遅れ・・・まるで末期癌みたいな話だと思った。だけど、俺は別にそんなことはどうでもいいんだ。マルチ、お前に言いたいことはそんな事じゃない−

 思わず便箋を握る手に力が入った。

−俺は、いや、俺達はマルチ、お前に礼を言わなくちゃならない。ヒトは老いるに従って、出来ることが少なくなっていく、自力で生きていくことが不可能になる・・・知っているか?最近は非合法の安楽死商売もある・・・要するに動けない自分を始末してもらうんだ−

「うっ・・・」
 その光景を想像し、マルチが嘔吐感にも似た不快感を感じる。

−だが、俺達はみんな、そんな惨い最後を迎えることはなかった。最後の瞬間まで、俺達は幸せだった・・・なぜだか判るか?−

「・・・・・・?」

−それはマルチ、お前が居たからだ。日に日に衰えていく体、思考能力の低下していく脳、体を動かすことすら苦痛に思う俺達を、マルチは嫌な顔どころか微笑みながら助けてくれた。知っているか?お前に看取られて逝った奴は、みんな穏やかに逝けたよ・・・みんなその恩に報いようと、残された金はみんなマルチ、お前の維持にまわしてくれたんだ−

「・・・・・・!?」
 マルチは驚愕した。確かにマルチも機体そのものの限界などとっくの昔に越えていてもいいはずだった。見た目は十代の少女でも、中身は老人といっても差し障りのないほどに老いているのだ。にもかかわらずいままでこうして生きている。それが意味するところというのは・・・?

−レミィは部品を調達してくれた、綾香や葵ちゃんは技術者達を探してくれた、他にも色々してもらったよ・・・だから俺は、いや俺達はこれだけは言っておきたい・・・

 『ありがとう。君が居なければ俺達は誰もあそこまで安らかに終わりを迎えることが出来なかった』

 明日は晴れるといいな、そうしたら久しぶりにあかりの所へでもいこうと思う・・・そのときは、お前も一緒に行こうな−



       7



 太陽が西に傾いていた。
 マルチ1人が取り残されたように佇む部屋の中へも紅い斜光が等しく降り注ぎ、呆然と立ちつくすマルチの全身を緋に染め上げていた。暫し打ちひしがれたように虚空を見つめていたマルチだったが、やがて立ち上がり、部屋の外へと飛び出た。
−バチッ!−
「!?」
 と、その瞬間、マルチの左足首から火花のようなものが飛び散った。
「・・・・私も・・・その時が」
 倒れながらも起きあがったマルチが呟いた。『終わり』は等しくマルチにも訪れようとしていた。だからこそマルチは走った。
 彼女の存在を心から望んだ、待ち人達の元へ。



       8



 斜光が降りていた。
 昼の盛りと夜の帳の狭間のほんの僅かな黄昏に、世界は緋に染まる。
 紅く染まる夕暮れの丘。
 遠く潮騒が聞こえ、丘には海から運ばれる潮風が吹き渡る。
 
 墓標が立ち並んでいた。
 小高い海辺の丘を埋め尽くすかのように、無数の白い墓標が立ち並んでいた。
 幾星霜の時を刻んだ色あせた墓標、悲しみを色濃く残す真新しい墓標。
 緋色の光に満たされたその光景は、まさしく世の黄昏だった。


「・・・くっ」
 力も限界に近いのか、マルチが膝をついた。
 瞳も虚ろで、目に見える世界も定かではない。
 立ち上がれない、動けない。
「・・・はあ・・・はあ」
 息も絶え絶えに、それでも進もうとする。
 だが、動かない。体は鉛のように重く、マルチの意志に従うことを拒絶する。
「ここまで・・・なんですか」
 不意にあきらめの感情がよぎった。

 その瞬間だった。
 彼女に語る『魂』が現れたのは。


−それでいいの?−
「!?」
 不意にかけられた声に、マルチは気がついた。
−ここで倒れて、本当にそれでいいの?−
 蒼い髪と瞳を持つ小柄なショートヘアの少女。遠い記憶の中で、彼女が生まれたての頃に出会ったままの姿。
「葵・・・さん?」
−浩之さん達はまだこの先。さあ、立って、あの人は貴方を待っているから−
「葵さんっ!」
 マルチが葵の姿に手を伸ばす、しかしその手は空を掴み、目の前の墓標へとぶつかった。墓標には葵の名が記されていた。


−さあ、こっちですよ−
 呆然とするマルチに、更に語りかける声があった。薄紫の腰まで届く長い髪、色素の薄い紅い瞳。
「琴音・・・さん?」
−早く、貴方に与えられた時間が終わる前に・・・−
 やがて琴音の姿も消え失せ、後には琴音の名が刻まれた墓標が残るのみだった。

 
 そしてマルチは再び歩いた。これが幻影か彼女たちの魂かなど最早どうでも良かった。目的が思い出せた、そして歩き出せる。

−こっちやで。ほら、しっかりしいな−
 薄茶色の瞳と三つ編みの髪。眼鏡をかけた知的な少女。
「おおきにです・・・智子さん」
 マルチの微笑みに頷き、智子の姿が消えた。

−頑張って、一緒に頑張ったんだから−
 特徴的な前髪とお下げ髪の少女が手を振る。
「はい・・・理緒さん」
 理緒の姿にマルチも手を振る。

−マルチ、あきらめたらそこまでネ。Never Give Up!−
 金色の髪と蒼い瞳。八重歯を覗かせて背の高い少女が呼びかけた。
「サンキューです・・・レミィさん」
−Too Good・・・マルチ−

−あんた、いつも前向きだったじゃない。ほら、みんな待ってるわ−
 ショートカットの茶色の髪を持つ快活な少女。親指を立てて片目を瞑り、マルチに語りかける。
「ええ・・・志保さん」
 同じく親指を立て、マルチは答えた。

−・・・・・・・−
 流れるような黒髪、そして夜の闇を切り取ったかのようなマントととんがり帽子。撫子という形容がまさにその通りの少女。
「『もう少しです』?・・・そうですよね、芹香さん」
 こくこくと頷き、芹香もまた消える。

−ほらほら、みんなすぐそこよ−
 芹香とよく似た、それでも性格はまるで逆の不敵に、それでも楽しげに微笑む少女。
「感謝します・・・綾香さん」
 手を振る綾香を横に、マルチは更に進む。

−後少しです、頑張ってください。マルチさん−
 腰まで届く長い髪、マルチと同じセンサーを取り付けた少女。
「そうですよね・・・セリオさん」
 マルチの声に、能面のように表情を崩さないセリオに、ほんの僅かな微笑みが浮かぶ。

−彼等はそこにいるよ、さあ、行きたまえ−
 馬面の眼鏡をかけた中年男がいう。
「はい・・・長瀬主任」
 進みゆくマルチを微笑ましげに見つめながら、長瀬は消えた。

−こっちだ、マルチちゃん−
 穏やかに微笑む青年。
「はい・・・雅史さん」
 マルチを導き、雅史も消えた。



 マルチは、立っていた。眼前の白い墓標の前に。


 寄り添うように立つ、二つの墓標。
「・・・・・・・」
 何かを呟き、マルチは糸が切れたかのように墓標へと倒れ伏す。
 何かを掴もうとするかのように手を天にかざし、マルチは天を仰ぎ見る。
 それでも緋色に染まった空にはマルチの求めるものは何一つなく、マルチの双眸から、光るものが溢れ出した。
「・・・・・・・」
 マルチは再び呟く。
 そして力つきた腕が地に落ち、瞳が閉じられた。


−マルチ−
 闇の中へと混濁してゆくマルチの意識に、語りかけるものがあった。
「浩之・・・さん?あかり・・・さん?」
 瞳を開けたマルチの前に、白き衣を纏い、宙に浮く浩之とあかりの姿があった。否、彼等だけでなく、マルチを導いた者たち全てがそこにいた。
−私達はここよ、マルチちゃん−
 あかりが手を差し伸べる。マルチも手を伸ばす。

 不意に体が軽くなった。

 そして次の瞬間、マルチは彼等と同じ所にいた。
−浩之さん・・・・あかりさん!−
 2人の胸に飛び込み、マルチは嗚咽を漏らす。
−ありがとう・・・な−
 そっと浩之はマルチの頭を撫でた。あの時と同じように。



 幾つもの魂がこの地から飛び立った。

 彼等が次に生を受ける場所へと向けて。

−次もまた、この人達と出会い、共に生きることが出来ますように−

 そんな願いを抱きながら、彼等の魂は再び星へと還っていった・・・



       9



 後に残されたマルチの亡骸を、リリトは彼等の側に埋めていた。
 別にこうして主人の後を追ったメイドロボットを埋葬するのは、これが始めてではなかった。時と共に、老いて孤独に苛まれた人々がマルチと同じく心を持った『友人』を求め、そして作られていったメイドロボット達。ここにある墓標の4分の1は、実にそうした『従者』達だった。
「・・・・・・」
 新たな墓標の前に立ち、リリトはぼんやりと3つ並んだ墓標を見つめていた。こうしていくつの墓標を建てただろう?不意にそんなことを考えていた。誕生し、繁栄し、そして滅んでいく幾つもの命。ヒトもまた、命であるが故にその呪縛から逃れられることはなかったのだろうか、そうとも思えた。
 だが、もうどうでもよかった。そんなことは。
「ここまで・・・ですね」
 リリトも力つき、そして倒れた。
「・・・愚かだったというのでしょうか。今この地にいるヒトは・・・いえ、それでも、まだ終わってはいないはず」
 消えゆく意識の中で、リリトは呟いた。

−願わくば、続く命は・・・愚かではありませんように−




           TO HEART SIDE STORY
                    "LAST MULTI"

                             THE END

PRESENTED BY     

"OROCHI"












  参考文献

 AQUA PLUS/プレイステーション用CD-ROM To Heart
 メディアワークス/トゥハート・ビジュアルファンブック
 伊達将範/To Heart マルチ、がんばりますっ/G's電撃文庫
ポール・R・エールリッヒ、アン・H・エールリッヒ/ヒューマン・エコロジーの世界・人口と資源と環境と/講談社
 小西誠一/地球の破産・人口、環境、資源を巡る21世紀のシナリオ/ブルーバックス

 あとがき

友人T:なあ、おまえさ、To Heartをクリアして気づかなかったか?
私:何がだ?
友人T:マルチの話でよ、メイドロボットを作るために政府が助成金を出していたよな、あの異様にケチな政府が。
私:ああ。
友人T:ってことはだ、あの世界、緩やかに滅びかけているんじゃないか?
私:緩やかに・・・
友人T:高齢化社会がどんどん進んで、少しずつ滅んでいっている、そう思わないか?
私:・・・確かに、それは言えるかも。
友人T:ってわけで、これをネタに一発書いてみないか?
私:・・・面白そうではあるな。


 という会話をずいぶん前に友人としたことがあります。これが私の4番目の作品"LAST MULTI"を生み出す結果になりました。今回のテーマは高齢化社会の後にどうなるんだということになっています。To Heartには全部で10種類のシナリオがあるのですが、冷静になって考えてみると、マルチのシナリオの裏にはこんなかなり恐ろしい事実が内包されているのでは、ということから物語が生まれています。マルチがあまり好きになれなかったのもこの辺りに理由があるのかも知れません。(因みにあの話のお気に入りのキャラクターは上から順に葵、あかり、綾香、浩之、マルチとなります)
 正直、私達が老いて死を迎える頃にはこんな結末が待っているのだろうかと考えると少しぞっとします。そういった世界における恐怖を和らげるためにマルチ達は創られたのだとしたら?感情豊かに友となれるマルチ、技術豊かに従者となれるセリオ。長瀬という男はもしかしたら全てを知った上で彼女たちを作り出したのではないのでしょうか?
 
 みなさんはあのシナリオの裏で何を考えましたか?よろしかったらお聞かせください。

 次はこのページに相応しく、葵ちゃんの話を予定しています。よろしかったら懲りずにまた読んでやってください。それでは。




                      2001年1月

                        OROCHI

  おまけ

友人T:いっといてなんだが、お前も結構破滅的な考えするよな。
私:勧めたのはお前だろうが・・・
友人T:はて、なんのことやら?
私:・・・とぼけるな。
友人T:さて、しらねえなあ?
私:・・・・・・もういい。

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