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            記憶に眠る少女の薄影

                           write : M.Hagu
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 あれは、まだ俺もあかりも幼稚園に入る前だったかな。

 近所中のガキで遊んでたんだよな。
 夕方になってきた頃に、あかりは手伝いがあるって先にひとりで帰っちまっ てて。
 それからしばらくしないうちに、辺りもすっかり真っ暗になっちまった。
 結局はすぐに家に帰ろうかってことになって、みんなと別れて、家に向かって走っていた。

 すると。
「ひろゆきちゃーんっ!」
 前方から先に家へ帰ったはずのあかりが駆けて来る。
「なんだぁ? もうみんなかえっちまったぞ」
「ち、ちがうよ、ちがうのっ」
 目の前まで来たあかりは、息も絶え絶えになりながら、目にいっぱい涙を溜 めてすがりついてきた。

「なんだよ」
「たいへんなの、ちっさいおんなのこがいぬにたいへんっ」
「なにいってんのか、わかんねぇよっ!」
 あかりはすっかり興奮しきっていて、話す言葉はわやくちゃだ。
 さすがに、そんな言葉にかまっていられないし、無視して帰っちまおうか、 とさっさと歩き出したら。

「だ、だって、あのこかまれちゃうよ、こわいいぬにがぶってされちゃうよ」
 あかりが泣きそうな顔で腕をひっ掴まえやがった。
「いぬ? いぬがいじめられてるのか?」
「ちがう、ちがうよぅ。おんなのこに、いぬが」

 そこまできて、やっと俺も感づいてきた。
 襲われてるのだ。
 女の子が犬に。

「どこだっ!? あかり」
「あっち!」
 来た方向を指差して駆け出した。
 俺は、そんなあかりの後ろをついていく。

 …ワンッ! ワンワンッ!

 次第に犬の鳴き声が耳に入ってくる。
「うっ、うっ、あのこ、だい、じょぶ、かなぁ、ひっく」
 走りながら、涙混じりで叫んでやがる。
「あかり、おれさきいくぞっ、どっちだ!?」
 目の前のY字路に向かって走り出しながら、後ろのあかりに大声で尋ねた。

「えっ? あ、みぎ。みぎだよ!」
「みぎ…ってどっちだ!?」
 その頃の俺は、まだ左右の判別がついていなかったのだ。

「おかしやさんの、ほう!」
「あ、そっちか。さきいくぜ!」
 右手にいった所には、俺の行きつけの小さな駄菓子屋があったんで、すぐに わかった。
「う、うん」
 あかりをおいて、一人全力で、その泣き声のする方向へ走っていく。


「ワンッ!」
 突然、犬の鳴き声が近くに聞こえる。
 急ブレーキで立ち止まって辺りを見渡すと。
「いたっ!」

 その女の子は、小さな空き地のその角で、壁に体を押しつけるようにしゃが みこんで、体を縮こまらせ、頭を膝に埋めて震えていた。
 犬は、そんな女の子を威嚇するように、吠え続けてやがった。
 まぁ、今思えば、襲う気配などない状況だとわかるのだが。

 当時の年齢では、そんな判断力はなかった。
「このやろーっ!」
 手近に見えた小石を、2個3個と投げつけてやる。
 けれど、そんなものが当たるはずもない。
 仮に当たったとしても、何の意味ももたない。

 それでも、その時はそれが一番ベストだと思えたからな。

 女の子に向かって吠え続けていた犬が、飛んできた石に気付いて振り返っ た!
「うっ!」
 その鋭い目にあっという間に、体が縮こまっちまう。
 近所の遊び仲間でも、幼稚園の連中でも、ケンカで勝っていたような俺だっ たが、それでも、野良犬の迫力にはびびった。

「な、なんだよっ! どけっ、そこどけっ!」
 できれば闘いたくない。
 心のどっかでそう思ってたんだろうな。
 声でしきりにあっちいけを繰り返した。

 まぁ、もちろん犬の方がそんな言葉解るわけもなくて、こんどはこっちを標 的に吠え始めやがった。
 その怖さに歯を必死にくいしばり、仁王立ちで耐える俺。
 そのままにらみ合いがしばらく続いた。

 そして突然。
 やつが一歩一歩近づいてきたのだ。
「う、うわぁっ!」
 逃げ出したい恐怖が、逆に俺を無意識に犬に突進させたんだ。

「ぎゃうんっ!」
 これまた全くの無意識で出したキックが、犬の鼻っ柱をジャストミート。
 跳ね飛ばされるように、地面をゴンゴンと回転して。
 俺を一瞥したかと思うと、さっきまでが嘘のように静かにどこかへ行ってし まったのだ。

「か、かっちゃったよ…」
 呆然として、今のがまるで他人事のように思えた。

 すると、くいくいっと指を引っ張られる。
「ん?」
「おにぃたん」
 さっきまで恐怖に身をすくませていた少女だ。

「あ、だいじょうぶだった?」
「うん、おにぃたん。あいあと」
 舌足らずな声でぺこりと頭を下げお礼を言う。

「へへっ、にいちゃんはつよいんだい」
 ガッツポーズで得意がる俺を見て、女の子はにっこりと笑う。
 八重歯が覗いて、すごく可愛い。
 当時、妹が欲しかった俺だったから、家に連れて帰って妹にしちゃおうとか、 本気で考えたもんだ。

「ひろゆきちゃーん」
 そんな考えも、その一声でふっとんじまったが。
「お、あかりっ!」
 向こうからあかりが駆けてくる。
「おそいぞ」
「ご、ごめん。みちをきかれたの」
「んなことより、やっつけたぜ、あのいぬ!」
「えっ、ほんと? すごーい」
 目をまんまるに開いて、あかりは素直に驚いてる。

 そんな様子を、俺の手を握りながらじっと見ていた女の子が、不意に声を上 げた。
「にぃたん、つぉいの」
 あかりの顔を少し見上げながら、にこにこ顔で笑ってる。
「あ、だいじょうぶだった?」
 あかりは膝に手を置いて背を丸めて、女の子の顔を覗く。
 女の子は無言で首を縦にこくん。

「よかったぁ」
 その返事にほっと胸を撫で下ろす。
「そういえば、おまえ」
 手を握る女の子を呼び掛ける。
 けれど、あかりや俺を見てにこにこするだけで、反応しない。
「おい、おまえ!」
「あ、まって、ひろゆきちゃん。ね、おなまえなんていうの?」
 俺を押し止めて、優しく名前を聞いた。

「あーたんね、あーたんってゆの」
「あーたんかぁ」
「ちあう、あーたん」
 俺の呟きに、むっとした顔で言い返す。
「ん? あーたんだろ、だから」
「あーたん、あーたんっ!」
「だから、…」
「あーちゃん、じゃないかなぁ?」
 割って入ったあかりに、にっこりと笑いかける。

「ほらね」
「あーちゃん」
「ぁーい」
 今度は俺の呼ぶ声ににっこり笑って返事を返してきた。

「な、あーちゃん。おまえどこのいえだ?」
「んー」
 しばし考えてから、くいっと首をひねって更に考える。
「もしかして迷子の子かなぁ?」
「うーん、どうする?」
「おまわりさんかなぁ?」
 顔を見合わせて思案していると。

「あっ! あーちゃんみーっけ!」
「てっちゃ!」
 向こう側から来た、俺たちより少し年上らしき少年に女の子が駆けていった。

「こら、どこいってたんだ? おばさん心配してるぞ」
「ごめんた」
 少年に怒られ、その女の子はぺこんと頭を下げてる。

「じゃ、かえろか」
「ん、あっ!」
 小さく叫んだ後、再び俺たちの所まで駆け寄ってきて。
「おにたん、おねたん、ばいばい」
 ぺこんとお辞儀して、また少年の所まで戻って行ったのだった。

「よかったね」
「…もったいないことしたかもなぁ」
「え? なにが?」
「え? あ、な、なんでもねぇよっ! かえるぞっ!」
 怒鳴って、あかりを置いて一人で走って帰っちまった。

 まぁ、あかりにばれるはずもなかったんだけどな。
 妹にしたかったなんてことはな。



 その後、その女の子と会うことは全然なかったし、俺の記憶からもすっかり 薄れちまってた。
 会うわけもないと思ってたけど…まさか、だよなぁ…。



「先輩。先輩っ!」
「え、あ。何? 葵ちゃん」
「どうしたんですか?」
「いや、何でもねぇよ」
 練習終わりの帰り道。
 ふと、葵ちゃんに空手を始めた経緯を尋ねていた。

 そして、葵ちゃんの口から出てきた話に、俺は頭の奥で何か引っ掛かったん だ。
 幼い頃に、叔父の家に遊びに来て、いとこと隠れんぼしているうちに、犬に 追いかけられたこと。
 追い詰められて、しゃがみこんで必死に身を守ろうとしたこと。
 突然現れたお兄さんに助けてもらったこと。
 その後、そのお兄さんと会ったことはないこと。

 俺の中で映し出されるおぼろげな記憶。

 俺が、ただ一度だけこの子を妹にしたいと思った子。
 ちょっと意味合いは違うけれど、それは初恋に近いものだった。

 でも、まさか、なぁ…。

「先輩? どうしたんですか? さっきから変ですよ」
「何でもないって」

 まぁ、いいか。
 あの子が葵ちゃんだったかなんてな。

「よし、葵ちゃん。何か食いに行こうぜ」
「えっ? 別にいいですけど、突然ですね?」
「いいじゃねぇかよ。さ、行こうぜ」
「はい」

 いつか、そっと聞いてみるさ。
 これからずっと聞く機会なんてあるんだしな。


                              END







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                あとがき
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 葵ちゃんSS”記憶に眠る少女の薄影”でした^-^

 えー、一応自己体験に基づきます(笑)
 ただし、追い詰められた側(^^;
 しかも、助けなし(^^;;;;;

 もし、小さい”あかりちゃん”が、犬に襲われたらと
 考えてたんですよね、当初は。

 しかし、浩之に置き替え、かつ浩之が助けたら…いけるやん^ー^
 ってなわけで、書いてみました〜。

 今回は珍しく、すっきりしない終わり方を採用しました。
 そうです、こう終わるしかできなかったのではなく、
 ここで止めたんですよ、わざとね。

 ということは、どういうことか…。
 そういうことです(死滅)

 解る人は解ってください。
 そうゆうことなのですな。

 解らない人はあきらめてください(笑)
 このネタでもう一本書くなどと、口が裂けても教えてやらないもん(笑)


                        はぐ[multi@suki.net]


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